『株式会社 巴屋商店』 4代目 堀場源一郎

『株式会社 巴屋商店』 4代目 堀場源一郎
ーでは、よろしくお願いします! まずは堀場さんのこれまでの経歴を教えて下さい。

幼少の頃から、大須小学校、前津中学校と、生まれも育ちもココ(大須)です。高校は…ちょっと複雑な事情により(笑)、愛知高校に1年通った後、転校して、三重の鈴鹿高校に通ってました。編入試験の成績が良かったのか、特進クラスに入ることになって、のちに名古屋商科大学に通うことになるんですよ。当時は、0~7時限目まで授業があって、毎朝6:10の近鉄に乗って鈴鹿まで通いでしたね。帰りはいつも19:00くらいだったかな。部活なんてやっていないのにね(笑)。そんな高校生活。大学へはストレートに入学したんだけど、2留しちゃった(笑)。

ーそれは、当時何かにハマっていて、大学より優先させていたとかですか?

いや、全然(笑)。もちろん、人並みにディスコ行ったり、友達と遊んたりってことはしてたけど、まったく大学を軽視していた訳ではなかったんですよ。『unchain』の小寺さん(※TALK RELAY vol.16参照)に聞くと分かると思うけど、あの人も同じ大学で、僕の先輩だったんだけど、講義を受ける教室は指定席で、成績云々の前に、出席日数に関して厳しくて、数回の欠席でも試験を受けられずに“不完全”っていう評価をされて、はじかれるっていうケースが多かったんだよね。

ーなるほど。当時は実家を継ぐことに関して、どう考えていたんですか?

大学卒業後、名鉄の本社採用として、就職しました。出向先のニッポンレンタカーで2年間働いていましたよ。そのおかげで大型免許も持ってますよ。当時は、卒業後すぐに実家にとは考えてなかったですね。僕の中では“実家を継ぐ”っていうことは既定路線ではあったんですけど。ただ、すんなりと実家の商売を手伝うよりも、外の世界を知った方が絶対為になると思って、2年間社会を経験した後に、本格的に実家の商売に携わり始めました。最初から2年って決めてた訳ではなかったんですけど、このまま続けても意味がないなって思ってしまったのが一番大きいですね。
…上に姉がいるので、必然的に長男の僕が継ぐというのが自然の流れではあったんですが、大学に入る頃だったかな、社長の親父から「どうする? 嫌なら無理に継がなくても良いぞ」という様なことは言ってくれたんですけど、自分としては昔から継ごうと決めていたので、「やるよ」と言ってはいました。

株式会社 巴屋商店 4代目 堀場源一郎ー具体的に、実家である株式会社 巴屋商店はどんな仕事の内容になるんですか?

造花装飾業なんですけど、ディスプレイ全般ですね。例えば、広告代理店や看板屋に材料を渡したり、発注に合わせて、それに合うディスプレイを提案・制作したり、クリスマスの装飾、電飾、店舗装飾など…という内容です。お客さんは大手流通系、飲食店から個人の方まで様々ですね。

ーそういった仕事を戻ってきた26歳から修行していった感じですか?

元々、中学生くらいの時からクリスマスシーズンの繁忙期には駆り出されていて…12月25日って、僕の中では遊んだ記憶がないくらい(笑)、撤去の仕事を手伝っていました。中学、高校、大学と、ずっとそうでしたからね。大学の時なんかは、もう搬入から手伝いに駆り出されてましたよ。社会人の時も12月25日は会社に休みをもらって、実家に戻って手伝ってましたから。昔から親父やおふくろの仕事ぶりを眺めていたし、一緒に手伝っていて仕事の流れは覚えていたので、26歳で「イチから修行だ」っていう感覚ではなかったですね。

ーでは、これまでの仕事の中で印象に残っていたり、やり遂げた実感が大きい“仕事”ってどんなものですか?

印象に残っている仕事か…いろいろやってきてるからな~(笑)。ナゴヤドームのイベント、「パヴァロッティ・イン・ナゴヤドーム」は結構覚えてるかな。世界三大テノールのパヴァロッティっていうのもそうだし、ナゴヤドームの最初っていうことでもそうなんだけど、人工芝を傷つけたらいけないっていうことでデリケートに機材やクレーン車を搬入しなきゃいけないってことだったんだけど、そんな誰も踏み入れていない人工芝で寝っ転がったっていうのが思い出かな(笑)。まぁ、今でこそガールズコレクションとか、いろいろなイベントでドームにも装飾で入ったりしているけど、当時は新鮮な気持ちでしたね。仕事として面白かったですね。

ー規模が大きいですね! 面白いと思える仕事ができるっていうのは良いですよね。

あとは、ドラゴンズの優勝の時なんかに大須でも行われる振る舞い酒ってあるじゃないですか!? 他の場所でもやっていた時があって、その準備や仕込みの時も大変でしたね。1994年10月8日のセ・リーグ優勝が最終戦にもつれこんだ時の10.8決戦。ジャイアンツとドラゴンズ、どっちが優勝するかわからないものだから、祝勝の準備をするじゃないですか、でも、ドラゴンズが負けてしまったから、大量のお酒を処分しなきゃいけないって状況だったんですけど、お酒目当ての人々はもらえるものだと思っているから、「ひとり一本ですよ~」って人員整理までやってました。暴動寸前って感じでしたね(笑)。

ー貴重な体験ですね(笑)。では、大須の“昔”を知るひとりとして、昔の大須は堀場さんの目にどんな感じに写っていました?

僕が子どもの頃の大須という街は、個人的な意見で大げさな言い方になるけれど、大須観音へのお参りをするお年寄り、変形制服を買いに来るヤンキー、それにヤ○ザ…っていうような街だった…印象だね(笑)。小学生の頃はいわゆるシャッター商店街だったし、中学生の頃にアメ横ができて、少し変わってきたのかな。当時は百貨店くらいにしかエスカレータがなくて、アメ横まで乗りに行った覚えがあるね(笑)。アメ横の影響でPC売ってる店が徐々に増えてきて、それから大須に活気が戻ってきた感じがする。それから古着屋さんが増えたりっていう今の大須になってきたんじゃないかな。

株式会社 巴屋商店 4代目 堀場源一郎ーそうなんですね~。シャッター商店街以前の大須はどんな感じだったんですか?

婦人服店やオーダーメイドのテーラー、とかだったと思うな。商店街と言っても、他はほとんど無かった。街の中で昔も今も変わらずっていうのは、ウチの店がある通りの門前町通くらいじゃないかな。他にも昔ながらの通りっていうのはあるけど、この近辺は、変わっていないと思う。特にウチの周り、『KITCHEN TOKYO』までは全然変わってない。

ー気になったんですけど、当時の栄はどんな感じだったんですか?

栄は栄で面白かったよ。通っていた前津中学校は、大須小学校と栄小学校の生徒が集まるから、大須にも栄にも友達がいて、よく行き来していた。自転車で栄に行くこともしょっちゅうだったから。大須の人がよく言う、「大須の街を出て若宮大通を越えることに特別感を抱く」ってことも僕個人的には、ない気持ちだね。僕の場合は仕事柄、大須・栄に関わらずいろんな街・場所にお客さん(=クライアント)がいるってことも影響しているとは思うけど。

ーそれぞれの街に店舗を構えている方とは違う意見で興味深かったです。話は変わって、紹介者である李さんとの関係を教えて下さい

李さんはね、先にウチの社長と仲良くなったのがきっかけかな。李さんが大須に来たばかりの頃に、店舗を飾りたいってことでウチに来ていた縁で。朝から晩まで一生懸命働いているっていう話を聞いていて、直接面識は無かったけど、そういう話だけは聞いていた。4、5年前くらいに吉田さん(※TALK RELAY vol.26参照)がやっていたお店で会うようになってから、李さんは「あのお店の社長さん知ってるよ。息子さんなんですね」って感じで話をしてから、仲良くなったのかな。お互いに相談をし合ったり、いろんな話をする仲になって、今では家族ぐるみの付き合いをするまでに仲良くなった感じです(笑)。

株式会社 巴屋商店 4代目 堀場源一郎ーでは、そんな家族ぐるみの付き合いをしている李さんからの3つの質問にお答え下さい。

じゃー、今直接電話で僕への質問を聞いてしまおう(笑)。(インタビュー時に電話で直接李さんに3つの質問を聞き出す堀場さん)李さん、僕に何が聞きたいですか(笑)?

ー直接聞いて下さり、ありがとうございます! ひとつ目は「堀場さんの年収を教えて下さい」でしたね(笑)

李さんの半分くらい(笑)、って答えでお願いします! こう答えておけば良いでしょ(笑)。直接の答えではないけど、四季それぞれの季節のイベント時はやっぱり忙しいです。年末は特に。近くのコンビニに置いてある栄養ドリンクは、僕がすべて買い占めてしまいますから(笑)。

ー見事な答え、素晴らしいです! では、ふたつ目は「2回目の結婚はどうですか? 」

楽しいですし、幸せですよ。自分で言うのもなんですが、家族仲はすごく良いですよ。家族揃って食事をしているところを大須の皆さんに度々目撃されているくらいです(笑)。嫁は仕事も手伝ってくれますし、仕事を覚えようとしてくれて、徐々に仕事も任せたりできるようになっているので、助かってます。

ー家族は仲が良いのが一番ですね。みっつ目は「頭髪が気になり出したのはいつ?」

10年くらい前から丸坊主にしていて、「バリカンよりも電気シェーバーでやった方が良いですよ」ってアメ横の人に教えてもらったので、嫁に電気シェーバーで手入れしてもらってます。…これは個人的な見解だけど、李さんも、オデコに前兆が見受けられる…気がする(笑)。あと、「100円均一の造花にはどう対抗するの? 」って質問もしてたけど、ウチなら100円均一で100円で売っているレベルのモノなら、100円以下で売ってますから問題無いですよ。全然大丈夫です。いろいろな商品を売っている100円均一で、ついでに造花を買うっていうケースはどうしようもないけど、本格的に造花が欲しいとか、ディスプレイといった見せ方に関しては、負けるところはないと思っているので、100円均一対策は問題ないと思ってますよ。

ーなるほど! 最後に今後の目標や展望を聞かせてください。

う~ん、そうだな。トータル的なプロデュースはもちろん、もっと派手にやっていきたいかな。どうしても今の日本は元気がない…ここで縮こまってはダメだと思うんですよ。人をアッと言わせるのが僕らの業界の使命だと思うので、そこを追求しつつ、元気に明るくやっていきたいですね。近い将来に限ると…別に何も無いな~(笑)。強いて言うならもうひとり子どもが欲しいかな。そして、跡取りが欲しい! って感じかな。

大須に関しては、やっぱり生まれ育った街・大須には、いつまでも活気があって、賑やかで楽しい街でいて欲しいかな。その為には力を貸すし、協力したい思いしかない。