Talk Relay 『T.F.L』武山匡哉さん

トークリレー『T.F.L』の武山匡哉さん

―今回のTalk Relayは、栄5丁目の『timeforlivin’』や大須の『THE BE-SHARE』など、数々のショップを展開する株式会社ティー・エフ・エルの代表・武山さん!! よろしくおねがいしまッス!!
よろしくおねがいします。

―すごく根本的な話ですけど、武山さんは名古屋出身ですよね?
そうだね。生まれは緑区、それから5歳から高2まで名東区、大学2年まで昭和区、そのあとアメリカ行っちゃった。はたちのときに。俺バックパッカーだったの。家庭教師とかイベントスタッフとかのバイトして金貯めては世界中フラフラしてて。それがこうじてというか、愛大を2年のときにやめちゃって、アメリカに行くことになったんだけど。今は栄に住んでるよ。

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―なにゆえ世界中をフラフラしようと??
海外の音楽が好きだったのが大きいかな。世界史も好きだったし。高校生のときは名東区にあるイスラム教のモスクに通ったりしていたよ。思想的な面ばかりではなくて、音楽とか雰囲気とか、そういうところに惹かれてさ。宗教全般好きだったな。あと、小学5年の頃から新聞を読むようになってたのも大きい。赤い中日新聞なんだけど。そのへんのおばちゃんの作文みたいなちょっとした小ネタ的な記事が好きだったな。で、ついでに世界情勢とかの記事を読んでいろいろ知っちゃって、海外に興味持ちはじめたんだよね。「革命」とかいう言葉とか紙面に載っているとドキドキしてさ、いつからか「今、自分が生きてる世界ってどうなってんだろう?」って思うようになっていたわけ。

―はじめて海外に行ったのは??
大学1年のときだね。イギリスだった。がんばってロンドンに1ヶ月アパート借りてさ。楽しかったよ。はじめての海外だったから。でも、「パンクスに会いてーなー」と思って行ったんだけど、実際、その頃のロンドンシーンはレゲエとスカが牛耳ってた。クラブとかでは黒人がタイトなスーツ着て、新品のスニーカー履いて、いい女つれていたからね。かなりショックだったな。自分のロンドンは幻想だった。

―ほかにはどちらの国に行ったんスか??
スペイン、イタリア、スイス、ドイツ、アメリカとか。

―なかでも一番影響を受けた国ってどこスか??
アフリカだね。まじで死にそうになった、、、あの経験は一生忘れない(笑)。なんでアフリカに行ったかというと、中日新聞の日曜版に載っていたマリ共和国のモプティという街のモスクの写真が載っていて、それが青空の下でめちゃキレイに写ってた。で、そのモスクってのが人柱を入れてつくられたという伝説みたいなことが書かれていてさ。これは見に行きたいってなったの。

―たしかにそれはゾクゾクしますね!!
そうそう。スペインからジブラルタル海峡を渡ってさ、タンジールに入って。俺が話せるのは英語だけだったけどね。

―英語は話せたんスね??
海外志向が強かったからね。高校のときから英会話教室に通ってたの。栄にあるイングリッシュセンターに。で、そこにいた先生がやばい奴でさ。名前がジャックっていうベトナム兵あがりの先生で、紳士的で見た目もスラッとしててカッコイイ奴だったんだけど、その本質はすげえ歪んでてさ。そいつ、とにかく女が大好きでね、タイとかバンコクとか行っては女を買いまくって、生徒の俺に自分の抱いた女のマ○コ写真をバーッて見せてくるような奴だったの。この女は20円だった、とか言って。「こいつ狂ってるなー」って思ったけどね(笑)。面白い先生だった。

―やばい先生ッスね!! 話は戻りますが、マリの旅はどうだったんスか??
そうそう。目的だったモプティのモスクにはバスに10時間ぐらい乗って行けたの。で、次にトンブクトゥっていう、黄金の都といわれていたとこに行こうと思ったわけ。ただ、そんときが雨季で川が氾濫しちゃっててさ。現地の人に聞いたら「船で片道一週間かければ行ける」って言われたから諦めて、代わりにドゴン族に会いに行こうかなって。そのドゴン族ってのがさ、宇宙信仰で、ぜひ行って会ってみたいなって。で、アブデュライってガイドを雇って、5日間歩いて会いに行ったの。それがすごく面白くてさ。午前中、5時くらいから11時くらいまで歩きっぱなし。気温40度くらいの中をだよ。で、夕方まで木陰で休憩してまた歩くを繰り返して、ドゴン族の酋長の家に着き、お願いして、宿泊する許可をもらうの。

―どこに寝泊まりしたんスか??
酋長の家の屋根の上だった。そこにゴザを敷いてさ。夜は星が綺麗でさ。闇夜の部分より銀色の星の方が面積が広いくらい。あれは最高だった。ただ、その村に居る子供たちが、俺が黄色人種で自分たちと見た目が違うってだけで、ワーワー泣くんだよね。これは辛かったな。きっと怖かったんだろうね。日本でも、その頃はまだ子供が黒人を見て泣き出したりしてた頃だったから。そんとき、身をもって人種差別は良くないんだなと感じた。自分も肌の色だけでアフリカの子供から嫌われてわかったことだよ。ま、それはそれとして、嬉しかったのはドゴン族が歓迎の意として、俺らにカレーを作ってくれたんだけど、そこらへんを歩いているニワトリをつかまえてその場でしめて、鍋にぶっこむわけ。初めて目の当たりにして、びっくりした。で、そのまま煮て食うんだけど、なぜかうまくてね。アフリカでうまいものなかなか食えなかったから。ま、それでは特に体調を崩したりしなかったんだけど、ドゴンへの旅が終わった後に、アブデュライが一度自宅でメシをごちそうしてくれたことがあったの。そしたらなんかスライムみたいな緑色のドロドロのが出てきてさ(笑)。それがかなりヤバかった。その日の夜から下痢は止まらないわ高熱は続くわで。

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―かなりワイルドな経験でスね!!(笑)
たぶん食中毒だったと思うんだけどね。で、苦しんでいる俺を見かねたアブデュライがさ、ランクルに乗っているドイツ人に頼んで、その人たちにマリの首都のバマコにあるキリスト教会が運営する旅行客のシェルターみたいなとこまで運んでもらったの。すげえ汚いところだったけど、そこで数日くらい寝込んだら回復したから良かったけどね。あと、いろんな縁と偶然があって、現地の人にフクイさんという日本人を紹介してもらったの。その人がまたすごくてさ。

―どんな方だったんスか??
その人は日本の企業に金を出してもらって、サハラの砂漠化を少しでも止めるために、砂漠に木を植える活動をしていたんだよね。で、俺が何もわからず「本当に砂漠化が止まるのですか?」って聞いたことがあるんだけど、そしたらフクイさんが「君は馬鹿なのか。砂漠化はもうずっと昔、何万年も前からはじまっているんだよ。だから私がいくらがんばったところで止められるわけがない。いずれアフリカ全体は砂漠に覆われるんだから」って言うんだよね。で、俺が「砂漠化を止める可能性は1パーセントもないんですか?」って聞くと「ない」って。「じゃあフクイさんは1パーセントも可能性のない仕事をしているんですか?」って聞くと「そう。これは砂漠化への私なりの最後の抵抗なんだよ。」って。ま、フクイさんは現地の人に仕事を与えるっていう目的もあったんだけど、俺、すげえなこの人って思ってさ。完全に自分にはできない仕事してるって。めちゃ尊敬した。

―そのフクイさん、なんか偉人級の人物ッスね!!
だよね。まあ、海外での話は尽きないんだけど、とにかく世界中をフラフラした経験を通じて、自分は変わったね。考え方もそうだけど、とにかく、タフになったと思う。日本の良さにも気づけたしね。名古屋に帰って来てからは、めちゃくちゃ仕事したよ。当時の名古屋のアパレル業界では俺が一番働いていたと思うくらい。

―武山さんが独立されたのはいくつのときスか??
24~25歳のとき。だから、もう20年くらい経営者やってることになるね。振り返ってみると、マジで必死でやってきたと思う。余裕が出てきたのはほんと最近。『timeforlivin’』の入っているビルを買って、7年ローンを4年で払い終えたときぐらいからだね。ただ、仕事ばかり本気になり過ぎて家庭も壊したな。バカだよね。今は社員が家族というか子供みたいな感じかな。年も離れてるし。かわいいし楽しい。

―社員を本当に大切する経営者って、最高だと思います!!
ありがとう。でもね、俺は働きはじめてすぐに独立しちゃったから、普通のサラリーマン的な感覚がないんだよね。だから、社長になってから最初の10年は戸惑いながら走っていたし、社員の育て方もよくわかっていなかった。変な話「金さえあげときゃいいだろ」って考えているときもあった。実際、儲かっているときはかなり金額を渡していたと思う。でも、金の切れ目が縁の切れ目っていうけど、業績が悪くなった頃、店としての接客方針を改良しようとしたんだけど、そしたら一気に7人ぐらいに辞めたいって言われちゃってさ。さすがにそれでは会社が回っていかないから、俺は頭を下げたんだよね。今までどおりの接客スタイルでいいから残ってくださいって。でも、そこから会社は毎月200万ぐらい赤字が続いて、結局7人中3人しか残らなかったんだけどね。残ってくれた子はすごく大切にしたな。

―ほかの事業展開も考えたりしてるんスか??
ないね。俺には20年、服しかないから。餅は餅屋だからね。俺は髪切れないし、食事も作れない。なにより、俺は服が好きだからね。だから『T.F.L』はストリートの服のセレクトショップとして、「さすがだよね、ブレないね、あいつらは」って思われる存在であり続けたい。うちには自分たちのスタイルってのが確立しているから、流行に左右されすぎることはないし。

―そう思っていても続けられない店がほとんどスよね??
たしかにね。だとしたら運も必要なのかな。ただ俺は、本当に売れんときこそ、本当に良い物を揃えようと心掛けている。そうすると、お客さんはちょっとずつ戻ってきてくれるから。あとうちにはオリジナルブランドもあるから。オリジナルの「オー・ザ・ギルト」もブレることなく、プライド持って作り続けてるよ。最高だよ。

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―そういう会社としての「ブレないスタンス」は、社員の皆さんにとって魅力に感じる部分でもありそうスね??
そうかもね。あと、今うちで働いてくれている子の中には、俺みたいになりたいと思っている子もいてくれると嬉しい。まあ、仕事のことだけじゃなくて、すげえ幅広いことを教えているからさ。たとえば、結婚式にはじめていく社員には恥をかかないよう礼儀作法とかを教えたり、大切な人のところに行く場合は菓子折りのひとつでも持って行けよとか。

―なんか親みたいスね!!
そうだよ、100万パーセント親(笑)。俺は社員を彼らの親御さんから預かっていると思っているから。返した時に、「預けて良かった」と思ってもらえたら嬉しい。最終的に、たとえうちから出ていくにせよ、ひとりで食っていくための術は教えているつもり。実際、うちで仕事したあと独立した子に、今のところ商売を潰した子はまだいないからね。

―社員の皆さんに、これだけは必ず伝えているってことはありまスか??
「平成の商人になれよ」とはよく言うかな。だって、商売の上手な人って絶対生き残れるじゃん。金勘定だけじゃなくて、心を成長させて世渡りも人当たりも上手になって、あの人と仕事したいって思われるような人になれよって教えてる。そういうこと言ってくれるオジサンって今いないじゃん。だから、社員の子たちは俺がそう教えてやってあげることが面白いのかもしれないね。

―武山さんの中で、社員の皆さんに対する接し方が変わった時期というか、キッカケみたいなことはあったんスか??
あったよ。10年目くらいの時にひとりの子を病気にさせちゃってね。結局辞めてったというか、辞めさせた。ちょうど業績も悪くなりかけの頃でさ。その時、いくらお金を儲けても、人を一人まともに雇えない、使えない、これじゃ経営者として失格だろうって、一度自分の心の中で自分の首をかっ切って、殺して、自分を新しく生まれ変わらせたからね。「もうこれから金を追いかけるのはやめよう。人の心を追いかけよう、心に寄り添おう。そういう経営者になろう」って。あと、それまで損得勘定で商売してたけど、判断基準を「善か悪か」に変えた。それからはたとえおいしそうな仕事でも、悪い仕事だなと思ったらやらない。儲けはなさそうだけど良い仕事だなと思ったらやる。そう決めた。

―にしても、武山さんの話は面白いスね!! 世界を放浪した話とか経営についての話とか今回は聞きましたけど、ほかにもストックがたくさんありそうスね!!
まあね。でも前にさ、オネエチャンに「武山さんって小ネタおやじだよね」って馬鹿にされたことあったよ(笑)。「そっかー!」とか言いながら内心「くっそー」って悔しかったりね(笑)。

――そのオネエチャン、結構いいこと言うと思いまス!!(笑) ではここらで、前回の斉藤さんから武山さんへの質問を!! ひとつめ「2年前、あたしと出会うキッカケとなったイギリスブームは『T.F.L』の中でなぜ巻き起こったのか?」
もともと最初の海外旅行に行ったぐらいだからイギリスは好きだったんだけど、たまたま知り合いの女の子が靴を見せてくれたの。それがデフォルメされたタッセルローファーでさ。すげえ気に入ってるみたいだったから悔しくなってきちゃって俺もタッセルローファー欲しい!と思って(笑)。で、自分が買うなら本家本元のロークのタッセルローファーだろー!って探し始めたんだけど、なかなかイギリス製のエアソールものが見つからなくてね。で、20年ぶりに『GOLDEN YEARS』に行ったらあった!しかも、当時の値段のまま、デッドストックで売ってたからね。これは全部買い占めようと思って(笑)。

―熱いスね!!『GOLDEN YEARS』!! ではふたつめの質問「フジツボ類の有効活用の道は拓けるのか?」
ははは(笑)。今、俺はヨットにハマっているからね。学生のときにもやってたんだけど、2年くらい前から再びクルーザーヨットをはじめてさ。将来、太平洋を横断したいんだよね。マジで。それが今の目標だから、毎週一回は海に出ては練習してるよ。冬でも、雨でも嵐でも。あ、フジツボの話だったね。フジツボはヨットの船底にくっつくから取らなきゃいけないんだけど、有効活用は全くないね。うん、フジツボの有効活用は全くありません(笑)。

―ではラストの質問!!「一番好きな神社のお社は?」
いいとこつくね~。そうだね、いっぱいあるんだけど、名古屋人として心の拠り所は「熱田神宮」だね。やっぱり心がパリッとする。たまに早朝とか行くと気持ちいいよ。空気が澄んでいてさ。本当にここ名古屋?っていうくらい。神様もすごく近くに感じられるし。熱田の杜に守られてる気になるよ。

―わかりました!! もっとお話を聞きたいところですが今回のTalk Relayはここまで!! 武山さんありがとうございました!!
ありがとうございました!


次は『VILLA ROUGE』の安藤さんへ!

トークリレー『T.F.L』の武山匡哉さん武山さんから安藤さんへの質問
Q. この人なら一生かけてもいい!っていう大恋愛な男が現れたら、仕事とその男、どっちを選びますか?
Q. 24時間、いつ会っても笑顔でニコニコ元気なキミエちゃん。常にフルオン!状態を保っている秘訣はありますか?
Q. 食欲、睡眠欲、性欲・・・キミエちゃん、いちばん強いのはどれ?

プロフィール
『T.F.L』
武山匡哉
大学時代に世界を放浪後、1993年にアパレル業界に入る。『THE BE-SHARE』『timeforlivin’』『XLARGE® NAGOYA』『parkLiFE』の4店舗を経営する株式会社ティー・エフ・エルの代表取締役。趣味はヨット。名古屋出身。