『株式会社 大創』 代表取締役 伊藤康徳

ーでは、宜しくお願いします! まずは伊藤社長の経歴を教えて下さい。

社長:昭和38年9月30日に名古屋市・西区の円頓寺で生まれました。実家が、円頓寺近くの明道町で菓子屋を営んでいたので、中学3年生くらいまで はずっとそこに住んでいました。小中高と普通に…ホントは普通じゃないけど(笑)、まぁ、僕なりに普通に進んで行ったんですが…。

ーという事は、かなりのヤンチャだったと…。では、奥様にお聞きしますが、出会った頃の伊藤さんは既にヤンチャを卒業されていましたか(笑)?

奥様:そうですね(笑)。その頃は、そんな面影もなかったです。可愛かったですよ(笑)。
社長:その頃はさすがに卒業していましたよ(笑)。そこからは波乗りを楽しんだりする軟派路線です(笑)。波乗りは、たまたま同級生にアメリカ留学 した子がいまして、その彼の影響ですね。最初は「何が、サーフィンだ! 」ってバカにしていたんですが、「じゃあ、お前やってみろよ」って言われ、やってみたんですが、なかなか思う様に出来ないんですよね。それが悔しくて何度 も挑戦している内にのめり込んでしまってました。……もっと深い話もした方が良いですか(笑)? 僕はコレくらいの方が良いと思うんですが…(笑)。

ー波瀾万丈の半生だとお聞きしていますので(笑)、色々と聞かせて下さい!

社長:いや〜、若気の至りですからね。……なかなかね。…それなりに、ヤンチャはしていましたが、僕らの時代は今みたいに色々な悪さがあるのとは違ったんですよ。いわゆる硬派なタイプの不良でした……自分で言うのもなんですが(笑)。
奥様:制服のスカートも「長くないとダメでしょ!? 」っていう時代だったんですよ。ファッションのひとつですよね。少し経つと、サーファーの女の子も出てきて、スカートも膝上の子も居たりしましたけど。そういう時代です。

ー真相は聞けていませんが、あまり突っ込むとコワいので、先に進みます(笑)。夜間学校からの流れはどんな感じですか?

社長:当時は、日中バイトをして、夜に学校へ行く生活を送り、なんとか卒業して「何をしていこうか…」と悩んだ時期を経て、元々建築関係に興味が あった事から、20、21歳頃に建築系の会社に就職したんです。働いていく内に自分のやりたい事がより具体的になってきて、「設計やデザインよりも、現場 を勉強しよう」と思う様になったんです。店舗などをデザインする設計事務所だったので、デザインの勉強もしていない、資格も持っていない自分では、居ても 意味が無いと思ったのも理由のひとつですね。

ーなるほど。そこから、現在の大創へ入られるきっかけは?

社長:そこで数年現場の仕事に携わっていたんですが、24歳頃のある時、営業部門の方が病気で倒れてしまった事で、自分が営業も兼務する事になった んです。それが現在の仕事に繋がっていく事になるんです。もちろん、そこでも色々な挫折を味わいました…(笑)。その後、“土地”に対して興味を持つ様に なったんです。土地って、やっぱり如何様にも出来るし、色々な可能性があるなと感じて。それで、26歳の時に株式会社 大創に入社しました。

ーその頃、奥様と出会われたんですか?

社長:そうですね、妻と出会ったのも、ちょうどその頃ですね。彼女は広告代理店で事務として働いていたんです。
奥様:当時働いていた先の先輩の彼が、社長(伊藤さん)と知り合いだった事から、私とも知り合う様になったのかな。…ちなみに出会ったのは、“更正”された後です(笑)。
社長:(笑)。平日は広告代理店で働きながら、お店番的な感じで土日はコッチでアルバイトをしていましたね。スゴい働き者なんですよ、彼女は(笑)。

ー女性の鑑ですね! では、大創入社から現在までの流れはどのような感じですか?

社長:入社した頃は、賃貸マンション・アパートやテナントの仲介以外に、分譲部門を別に設けておりまして、僕はそこで住宅の斡旋をしていました。そ の後、バブルがはじけたり、色々な諸事情があって、賃貸の方に力を入れる様になっていったんです。時の流れと共に、大須の街も徐々に現在の様なファッショ ンの街へと変わっていきましたね。そこから、7、8年くらい前に家賃が上がる様になった事で、少し変化がありましたね。某社さんが、街の中でも良い立地の 所に出店したいという意向で、相場の2〜2.5倍の家賃でも払うとなったタイミングで、他のテナントや物件も総じて上がる様になってしまった感じはありま すね。

ーそんな背景があったんですね。大須の街は他の街と比べて、かなり独特ですよね。

社長:元々大須の街というのが、テナント用に建てたビルがある街ではなくて、“奥に住みながら手前の空いたスペースを人に貸す”というケースや、 “空き家のままだった場所を貸す”というケースがほとんどだったんですよ。けれども、現在ではそれも少し変わりつつあります。大家さんは別の場所に居住し ていたり、家賃や諸費用も下げる事に応じて頂けるケースが増えてきていますね。もう少し出店しやすくなると良いんですけどね。

ーなるほど。ところで、いち社員から社長に登り詰めるのは、独立する以上にスゴい事だと思うんですが…。

社長:いやいや、そんな事は無いです。確かに入社当時は、今居る社員と同様に普通の平社員として入社しました。数年後からは、番頭的な役割でやらせ てもらっていたのもあって、先代より「会社を譲る」とお声は頂いていたんですが、お断りしていたんです。というのも、先代にはお子さんがふたりいらっしゃ るので、そのご子息が継がれるのが一番だと思いましたし、自分はそんな器ではないという思いも強かった。それに、当時会社としても負債があり、マイナスか らのスタートにしても額が多かったので、「自信がありません」と伝えていたんですが、「やらないのなら、廃業する」とおっしゃられ、自分のお客さんに対す る責任もあったので、お応えする形で引き受けました。「男なら一旗挙げたい」という独立願望もありましたからね。尊敬している先代から信頼され、譲って頂 けた事は、すごく光栄ですね。

ーでは、前回お話を聞かせて頂いた下野さんから伊藤さんへのみっつの質問にお答え下さい。ひとつ目は「奥様とのデート(遠出)はしっかりやってますか? 」です。

社長:あぁ、していないですね(笑)。なかなか休みが合う事が無いので、遠出は難しいですね。年末年始、G.W.、お盆くらいに1泊くらいの旅行に 行くぐらいです。それも近場が多いですね。だから、デート言っても、仕事終わりにご飯を食べに行ったり、お酒を飲みに行くぐらい。

ーやっぱりデートだと大須は外すんですか(笑)?

社長:そうそう(笑)! …いや、車で来ているから、家の近くへ行くのが多いだけですよ。もちろん、大須のお店にも行きますよ(笑)。その時はタクシーで帰ったりして。

ーちなみに奥様は、お酒を結構飲まれる方ですか?

奥様:お酒は好きなので、飲む時は結構飲んじゃいますね。“次に紹介する方”も強いので、一緒に飲むと酔っちゃいます(笑)。よく行く焼き鳥屋さんのBGMが永ちゃんなので、思わず飲み過ぎちゃうんです。

ーあっ、矢沢永吉ファンなんですか?

社長:夫婦揃って、昔からのファンですね。やっぱりバラードを聴くとお酒も美味しく感じますよ。
奥様:もちろん、タオルも持ってますし、ライブに足を運んだ事もあります。さすがに車にステッカーは貼っていないですけど(笑)。昔のライブはコワいお客さんが多かったって聞きますけど、今はそんな事ないですからね。
社長:親子3世代くらいで来てる方もいらっしゃいますよ。失礼な話ですが、永ちゃん本人の年齢も年齢なので、もう何回も経験出来る事では無いから、数少ないチャンスだと思ってスゴく小さいお子さんを連れてくる方もいますよ。

ー僕も行ってみたいです。では、ふたつ目の質問です。いろんな意味で、「夫婦どちらが強いですか(笑)?」

社長:う〜ん、難しい質問だね(笑)。…やっぱり、女性ならではの強さはありますよね。彼女は冷静に見れて、辛抱強い所がありますから。
奥様:亭主関白やかかあ天下などがありますが、結婚したすぐは関白宣言に近いモノはありましたね(笑)。でも随分、緩くなってきた感じはあります。 毎日家でも職場でも顔を合わせますから、「敢えて言わない様にしているんだろうな」と思う所はあります。ホントは自分なりに「こうしたい、ああしたい」と いう願望はあるはずなので、実のところ、亭主関白なんでしょうね。
社長:男は「こうしたい、ああしたい」というのがある生き物だから、そういう事が出来る環境を作ってもらっているという意味では、女性の方が強いのかなと思います。
奥様:今年で結婚して19年ですかね。だから、来年に期待しています(笑)。大きい指輪なのか、違うモノなのか…(笑)。

ー期待しましょう(笑)! では、みっつ目です。「ぶっちゃけ、儲かってますよね(笑)!? 」

奥様:(笑)。それは、開店祝いなどのお花を下野さんの所が請け負っているから、そう思われるんでしょうね。
社長:そう思って頂けるのは有難いですね。「あそこは厳しそうだね」って思われるよりかは、はるかに嬉しい事ですよ。そう思われ続ける様に頑張りたいですね。「儲かってます! 」とは、断言出来ませんが…(笑)。

ーなるほど(笑)。あと、大創さんと言えば、“ともしびアパート”や“Annon堂”など、特殊なテナントが特徴的ですが、それらを始めたきっかけも教えて下さい。

社長:順番としては、“ショップゼロ”という3坪の小さなテナント、“ともしびアパート”、“Annon堂”という順に展開したんですが、きっかけ としては、大須の家賃高騰が一番の要因ですかね。出店したいというお客さんは結構来て頂けるんですが、なかなかハードルが高くて、断念される方が多かった んですよ。なので、出店へのきっかけ作りとして、まずはお試し感覚で出店して頂いて、感覚やイメージを掴んでもらったら、条件に合う物件、自分の城へと 移ってもらう、という流れを作りました。それは、利益の上げ方はもちろん、商店街との携わり方や街との関わり方を学んでもらえたら、というこちらの思いも あって。

ーそれぞれがそれぞれ、大須の街の雰囲気に合ったコンセプトですよね。

社長:行政が手を入れて成功している商店街は、全国にも結構あるんですが、大須は自然発生的に繁栄した商店街・街なので、そんな下町の良さを体現出 来るテナント・建物を提供したいっていう思いが一番ですね。強烈な個性、アクの様なモノをうまく表現出来る“器”を提供出来れば良いなと思います。もちろ ん仕事なんですけど、創り出していくっていう事が、自分自身、やっぱり楽しいし、好きなんですよね。

ー大創さんの様に、街づくりに大いに貢献して頂いている不動産会社は貴重です! では、最後に今年の夏祭りの実行委員長でもある伊藤さん、夏祭りに対しての思いを聞かせて下さい。

社長:61回という、自分の年齢以上の歴史あるお祭りに携われて、光栄ですね。今年はさらに、震災もあったので、よく言われている“今、わたし達に 出来る事”ではないですが、そういった思いや自覚を忘れない様に、お祭りとして形にして、特別な思いを持って、盛り上げられれば良いなと。盛り上げる秘策 はこれから、色々ともっともっと考えていかなければいけませんが…。ご協力お願いします!