(有) ネクスインターナショナル 代表取締役 大野智之

ーでは、宜しくお願いします! まずは生まれや育ちなど、大野さんのルーツを教えて下さい。

東京生まれの名古屋育ち。親父がサラリーマンで転勤族だったから、たまたま東京に居る時に俺が生まれて、幼稚園の頃に名古屋に戻って来たって感じかな。そのまま名古屋で少年時代を過ごして、ずーっと名古屋。

ー多くのアパレル経営者の方と同じ様に、やはり「小さい頃から服が好きで…」っていう事でお店を始められたんですか?

俺は全く関係ない。商売はどんなジャンルでも一緒だと思ってる。これまでのインタビューを見ても、「昔から服が好きで…」っていう人が多いじゃない!? でも、俺は真逆。多分、服が好きで商売を始めていたら、俺は失敗していただろうね。結局、俺は遊びが好きだった。遊びたいからこういう商売を始めた。だから、カッコ良いコンセプトなんて一切無い! 接客業は好きだったけど、完全に遊びの延長だな。

ー昔はディスコに頻繁に通われていたとか?

もちろん! 毎週末ディスコには遊びに通ってたよ(笑)。でも、大学卒業して、自動車メーカーで2年サラリーマンをした。その社会人時代にもディスコには行ってた。だけど、1年目で新人賞取って、2年目は優秀セールス賞を取った。自分の中ではそれで達成感があったんだろうな。そこから急に名古屋のディスコ『MAHARAJA』に入った。会社も親も猛反対だったけど、「3年間だけ行かせてくれ! 」って言って、3年間黒服をやった。元々遊びに行ってる時からスカウトされてはいたんだけど、水商売系に染まりたくなかったから、期限を3年と決めて。けど、そこで大分人脈も出来たし、商売の厳しさも分かった。…ディスコって言うと、すごく“軟派”なイメージがあるでしょ!? でも、そんなんじゃなくて、もの凄く厳しい体育会系だった。

ーその後、アパレルにどう繋がるんですか?

そこからも色々あった。大学時代にハワイ大学に留学してた経緯もあったし、その後もハワイに何度か旅行に行っていたから、黒服をやった後にハワイで和食屋、串カツ屋をやろうと思ったんだ。思い立ったらすぐだから、お金を持って、やる気満々で親を連れて契約する為にハワイに行った。送別会もしてもらったし、車も何もかも売って、身ぐるみひとつで向こうに行ったけど、契約寸前で思い留まった。なんでかと言うと、親から出してもらったお金で商売を始める事が申し訳なく、情けなく思ったんだ。だから、出店をやめて帰国した。

ーなるほど〜。そこから日本に戻って来て…。

で、戻って来て、ブラブラしてる時に、たまたま先輩が「本山にアメ村を始めるから一緒にやらないか? 」って話をくれたのが、この業界に入ったきっかけ。最初は先輩を手伝っていたんだけど、やってる内に「自分でやった方がいいな」と思い、店をやり始めたのが28歳の時だから、今年で20周年だな。ちょうど先輩がメンズをやっていたから、「じゃー俺はレディースをやろう」ってレディースの店をやり始めた。

ーその時からストリート系のアイテムだったんですか?

いや、全然。ギャル系! それをやっている時に、雑誌を読んでいたら、“アウトレット”っていう文字が目に飛び込んできた。当時はアウトレットなんて誰も知らない。「コレだ! 」って思って、思い立ったらすぐだから(笑)、アメリカにすぐ飛んで、その当時から人気だった「Ralph Lauren」なんかを買い付けて、アウトレットストアっていう店を出して、社名もアウトレットコーポレーションっていう名前にして始めた。当時は開店前から行列を作っていて、バンバン売れて、スゴい売上だったよ。でも、アウトレットなんて誰もどういうモノか知らないから、毎度毎度お客さんに説明してた。それでもすぐに売れちゃうもんだから、お一人様2点までって制限をしていた時期もあったほど。

ーまさに思い立ったら行動ですね! そのまま順調に進んでいったんですか?

今度は「岡崎のメルサにアメ村を出したいからやってくれ」って言われたから、俺が立ち上げたり…。おかげさまで、そういう話が舞い込んで来る様にはなった。でも、アウトレットが有名になってくると、他店舗を出しても社名がアウトレットコーポレーションのおかげで、全部が全部アウトレットで安いと思われちゃうし、ややこしいと言われる様になった。それに、買い付け時に向こうで会うのは日本人しかいないっていうくらい、現地が商売敵の日本人で溢れてしまった。多くの人間が参入したおかげでメリットが無くなったし、インターネットの普及で簡単に手に入る様になった要因もあって、商売として成り立たないと感じた。だから、現在の社名に変えて、ドメスティックブランドを扱うセレクトショップへと路線を変えていった。

ーそれは何年前ですか? あと、どうして“ドメスティックでストリート系のブランド”って思われたんですか?

う〜ん、13年くらい前かな。どうしてって聞かれると、…感性かな。とにかくインポートはダメになるんじゃないかなって思ったから。昔は買ってきたアイテムに何倍の値が付いて、買ってくるモノ全て売れちゃう様な感じだったけど、今となっては、どこも似た様なアイテムが並ぶ様になったでしょ。それに、どこ行っても日本人の若いバイヤーがいたし、インターネットも普及して、わざわざ買い付けに行かなくても良くなったしね。自分の感性を信じて、他店と差別化を図れなきゃ意味がないから。…でも、今、webショップも併せて6店舗を経営しているんだけど、今まで俺がオープンさせたのは21店舗。つまり、そうは言っても15店舗は潰してる。それだけ浮き沈みを繰り返して、今に至ってる。まぁ、うまくいかないから閉めてるだけじゃなくて、メーカーや取引先が倒産してっていう割合も多いけど。

ー激動の20年ですね。13年前のストリートのお店は大須でオープンされたんですか?

17,8年前にすごい誘われたんだけど、「大須なんてファッションの街じゃない」って断ってた。むしろ、当時は大須に店を出していた人達が本山に出店したり。当時は本山の方が洗練されて、オシャレな街っていうイメージが強かったから。でも、大須商店街が整備されて、組合や町内会の方々がしっかりとした体制で街を盛り上げていたから、大須にも参加させてもらう様になった。今では大須で3店舗もやらせてもらっている。ストリートの人気も高かったから、13年前当時の『nexx』の反応は良かったよ。インタビューでも、よく他の人達が「今が一番苦しい時期だよ」って言うのがまさにそうで、当時は本当に良かった。

ーみなさんおっしゃってますけど、やはり以前の大須は“コワい街”だったんですか?

そうだね、やるか・やられるか、とるか・とられるかの時代があったのは確かだね。ちょうど俺らの世代が一番リアル世代なんじゃないかな。ファッションのイメージもなかったし、コワいイメージがあった。だから、いろんな方々がスゴい努力をされて、ここまで改善されたって事だよね。

ーやはり、成功をされている方は皆、波はあるにせよ順調にきている印象です。

いやいや、この業界は、表向きはカッコ良く見られるし、見せるけど、順調なんてモノはないよ。俺もよく若い奴に言うんだけど、結局、努力。真面目にやる事が大切だな。本山のアメ村や岡崎のアメ村にいた周りの同業者は、今となってはほとんど服屋をやってないから。それくらい厳しい世界って事。だからと言って、これから服屋を目指す若い奴に「やめとけ! 」とは言わない。ただ、「上っ面の見た目だけで職業を選んじゃイカンよ」って話。古典的な言葉だけど、“継続は力なり”って言うのは、間違いない。真面目に努力が出来ない奴は淘汰されていく。

ー「アパレルをやる上で何が大切か? 」って問われた時にパッと出てくる大事な事ってなんですか?

う〜ん、カッコ良く言うと“スタッフ”。人っていう部分が大きい。もちろん、それだけではないけど。まぁ、そうやって言っておけば、スタッフのウケがイイかもな(笑)。…まぁ、それは冗談だけど、さっきも言った、上っ面の見た目だけのイメージでやったらダメだって事だよな。最終的には真面目に努力した者が生き残るって事。

ー身に染みました! 話は変わって、今回お話を聞かせて頂いているダンススタジオはどういった経緯で始められたんですか?

『STUDIO NEXX』は、今年で8年目なんだけど、ストリートの店をやっているとスタイルだけじゃなくて、ストリート系のカルチャーも含めて、ダンサーやら何やら色々な人が集まる様になるじゃない。だから、そういった流れで始めていった。お客さんの要望と言うよりは、完全にこちらからの提案。と言うのも、だんだん俺が若い子への接客に付いていけなくなった(笑)。だから、別の切り口で探してみた結果、ダンススタジオに行き着いた。そうしたら、こういうトコ(ダンススタジオ)だと、レッスンに来るお子さんのお父さん・お母さんが俺と一緒の世代で、話してみたらすごく話が合うんだよね。

ーなるほど。では、紹介者の小寺さんからもらったみっつの質問に答えて下さい。まずは「人生のターニングポイントはいつ? 」

40歳という節目でいろんな事が分かって、変わってきた。年齢を重ねていくと、年々感性も鈍ってくるだろうから、ひとりで頑固になるよりも若い連中とチームで闘った方がイイだろうと。考え方も徐々に変わってきて、昔は自分ばかり喋る事が多かったんだけど、ある時から聞き上手になろうと。人間喋るよりも聞く方が得だなって(笑)。スタッフに対しても、こちらから一方的に言うんじゃなくて、みんなの意見も受け入れる。もちろん、まとめ役はやらなきゃいけないんだけど。ハワイの時も、アウトレットの時も、ひとりで先頭に立って何でもやっちゃってたんだけど、周りの大切さに気付いたのは40歳の時だな。それがひとつ、成功の要因なのかも知れない。それまでの「イイ車乗りたい」とか「金を稼ぎたい」っていう思いから、スタッフの為や家族の為って方に変わってきたかな。まぁ、自分の欲を叶えてきたからこそ、言えるのかも知れないけど(笑)。

ー悟りを開いたみたいですね(笑)。ブランドセレクトなども後進に任せているんですか?

昔は俺がひとりで全部やっていて、若いスタッフの意見は一切聞かなかった。展示会行こうが、アメリカに行こうが、ひとりで決めて、セレクトしたアイテムを「売れ! 」って感じ。さっきも言ったけど、40歳で変わった。若い奴にも任せる様になった。今のタイミングが一番良いのかも知れない。スタッフも育って、スタッフに恵まれてっていう。…まぁ、そういう風に教育したのも俺なんだけど、教育されたのも確かだね(笑)。もちろん、任せてばかりじゃダメで、時には引っ張るのも大事なんだけどな。昔はガンガンに尖って、トキントキンの人間で、敵も多かったけど(笑)、すごく丸くなった。…それに、若い奴の話に合わせる為に勉強もしてるしね(笑)。

ー教育の賜物ですね(笑)。では、ふたつ目「女性・遊びに関する武勇伝を教えて下さい」。

遊び!? バブル全盛の時はスゴかった(笑)。当時はむちゃくちゃ遊んだよ!…今は全くだけど(笑)。最近、冗談で「俺は男のリミットを若い頃にもう使い切った! 」っていう話をするぐらい、昔は遊んだ。おそらく、一生の内に使える“男性のパワー”のリミットは決まってるのかも知れない(笑)。年齢を重ねてきて遊ばなくはなったけど、そのおかげでまだまだ若くいられる。女性ばっかりじゃなくて(笑)、男女問わず若い子達と一緒の環境にいるっていうのが、俺の活力源になっているのかも知れないね。

ーなるほど。海外での女性関係はどうだったんですか?

ん〜〜(笑)。一時期、カナダの女性と仲良くなったんだけど、生活や習慣、文化の違いに対応出来なかったから、「やっぱり無理! 」ってなったけどね(笑)。海外でも遊んだな〜、最初の買い付けの時なんか、遊びたいから買い付けに行ったって感じだったから(笑)。アメリカ行く時も日本に帰って来る時もハワイを経由したり、各地の遊園地を回ったり、早々に買い付けを終わらせて、クラブに行ったりって具合にね。それなりに楽しみましたって事でいいじゃない(笑)!

ーイイと思います(笑)。買い付けや旅行などで海外エピソードが沢山ありそうですね!

遊びじゃないけど、9.11同時多発テロの時にちょうど向こうにいたっていう話もある。当時、アメリカに買い付けに行ってて、爆発があったペンタゴンの近くをちょうど車で走っていた。ドンって音が聞こえて、煙も見えたけど、まさかそんな大事が起こっているとは思わないからさ、そのまま走って買い付けに行ったんだけど、すぐにマーケットは閉まっちゃった。「なんで? 」って聞いたら、「テロが起きた! 」って言うから慌ててホテルに帰ってTVを見た記憶がある。よくよく考えると大分危なかったよ〜スゴい経験をした。本当にすぐそこの国道を走ってたんだから、ちょっと間違えば死んでたよ(笑)。アメリカに関しては色々とエピソードがあるよ。○○○と×××とか、※△@とか(笑)。

ー明確な活字にはしないでおきます(笑)、みっつ目の質問です。「商売・仕事での失敗談、ありますか? 」

さっきも話した、21店舗オープンさせたけど、15店舗を潰してきてるって事。それは失敗だよな。やっぱり、自分一人だけじゃうまく出来ないし、イケイケだけじゃダメって事。一番最初に出したアウトレットの店の時、売れに売れて天狗になった時期があったんだけど、その時はすぐにポルシェを買って、社長ぶってさ。店にも出ないで、スタッフに「やっとけ! 」みたいな態度だった。そしたら、スタッフから総スカン食らうし、売上も下がるし、大分凹まされた。見栄を張らずにすぐにポルシェを売って、中古のハイエース。必死になって盛り返そうとした。当時は1万円の支払いにも困るくらいヤバかったから。だから、その時に「あぁ、楽して儲けようとしちゃダメだ」って気付けて良かったし、すぐに切り替えられて良かったって、今は思う。

ー成功している人に共通しているのが、切り替える時のスピードが速いって事なんだなって改めて思いました。最後に今後の展望を教えて下さい。

50代になると、どうしても保守的になる気がするから、若いスタッフ達に背中を押してもらって、そうならないように気をつけようと。自分の為と言うよりも、スタッフの為に店舗展開していくとか、お客さんの為にどうするかとか、そういう風にしていきたい。具体的なプランはまだ無いけど、いろいろと考えてはいるよ。大須に関しては、みんなが助け合って、情報交換しながら店をやっているのが良い所だと思う。本来ライバルのはずのそれぞれの店が、本当に仲良くやっている。それは他の街にはない魅力だと思うな。でも、昔からずっと大須にいる人間じゃないから、今後店をどうしていくかは分からない。ひょっとしたら、違う街に移転する事になるかも知れない。ただ、それでも大須が良い街である事は間違いないな。

ーいろいろなビジョンがありそうですね! ちなみに次回の堀田さんはどんな方ですか?

多店舗経営、多趣味、家庭…よくやれているなと感心してしまう(笑)。おそらく陰で努力しているんだろうな。そのバランス感覚、年下ながら尊敬します(笑)。

ーありがとうございました!