(有) フリークストリート 取締役 木下“A”つしさん

ーでは、宜しくお願いします! まずは、生まれや育ち、年齢などを教えて下さい。

生まれは東京なんですが、1歳くらいから岩倉市に引越して、それからずっと今でも岩倉在住です。昭和40(1965)年生まれの45歳で、SABADOとかウチの代表取締役の相棒も同年齢。結構、大須の中では多いんですよ。同年齢と言えば、今扱っているシルバーアクセサリーブランド「ZOCALO」との出会いもすごい偶然なんですよ。相棒がメキシコ旅行中泊まった宿に、たまたま新婚旅行に来ていた同級生も泊まっていて、「偶然だな〜! そうだ、現地で仲良くなった日本人を紹介するよ」って同級生から紹介されたのが、「ZOCALO」の社長だったんですよ。その社長はN.Y.在住なんだけど、それもたまたまメキシコに遊びに来ていて、お互いの話をしたりする内に仲良くなって、仕事を一緒にする様になったんです。今では『ZOCALO 名古屋店』を『TERRAPIN STATION』の上に構えるようになりました。どうも、何かと同級生・同年齢との縁が強いんですよ。面白いですよね〜。

ー縁ですね。では、現在の職業に就かれた経緯も教えてもらえますか?

元々は、株式会社稲葉製作所っていう「イナバ物置」で有名なところに勤めていたんです。そこで図面を引いて、設計をしていました。そんな会社員時代に、うちの代表でもある相棒がバナナレコードで働いていたんです。割と田中社長(TALK RELAY! vol.6参照)の右腕的な存在で、買い付けで海外に行ったりしていて、それに僕も同行した事があったんですよ。ちょうどそのその時に、「昔バイトしていたエスニック雑貨屋から、『名古屋で店を出すからやらないか? 』って話をもらったんだ」って相棒に相談したら、「じゃー俺達だけでやっちゃおう! 」っていう話になったんです。それで僕は会社辞めて、ふたりで会社を立ち上げて、ふたりでインドやネパールに買い付けに行って、大須で雑貨屋を始めたんです。それが27歳の時だから、今から約16,7年前です。以前は買い付けも頻繁に海外に渡ってたんですけど、今では店を守る店舗統括みたいな形ですね。

ー出店場所は、現在の場所で始められたんですか?

いや、最初は大須通り沿いの、今は吉野家がある場所の裏でやってました。あそこでエスニック系のショップをやって、…大須で一番最初にエスニック雑貨のショップをやったのは、実はウチだったんですよ。シルバーショップも大須では、実はウチが最初だったりするんです。まだ、シルバーアクセサリーの認知度が今ほど高くない時代でしたね。セレクトでシルバーを扱っていました。当時はメンズのシルバーアクセサリーっていうモノが無かったですから。

ー当時はまだまだ大須が“コワかった”時代ですよね(笑)?

ちょうど、“コワイ”時代が終わった頃じゃないですかね(笑)!? 大須に商店街がまだ無くて、お店が密集していると言うよりは、散らばって存在している感じでしたよ。僕らが中学・高校くらいの時が、一番“コワかった”んじゃないかな〜。よくある話では、「大須にはケンカをしに来る」みたいな街でしたよ(笑)。大須に来る時には、お金は絶対靴の中に入れてましたよ(笑)。それでも、やっぱり大須に来てましたね〜。レコード屋さんもいっぱいあったから。運良く修羅場にもなる事無く、過ごせたので(笑)。

ー過去だからこそ、“コワかった”街・大須の話は面白いです(笑)。紹介者でもあり、同年齢の友人SABADOさんからのひとつ目の質問、「奥さんは物置の上に乗らないのか(笑)?」にお答え下さい!

乗ってますよ(笑)! 奥さんは乗ってますよ〜と言うのも、稲葉製作所時代の話で、あの「やっぱりイナバ、100人乗っても大丈夫」って、代理店の偉いさんとかが乗って撮影しているんですよ。CM以外にも、「新しい商品はこういう感じです」って営業が代理店の人へ説明をした時とかに、記念に撮影してテレフォンカードにしたりするんです。で、やっぱり100人いなきゃいけないから、足りない時に自社の社員を後ろに乗せて撮影するワケです。だから、奥さんも何度か上に乗ってるって話。あっ、奥さんとは当時、同じ会社で知り合って、独立の5年後の32歳で結婚しました。

ーその流れと言ってはなんですが、ふたつ目の質問、「インドのドマという女性とはどうなったんや(笑)?」もお願いします!

あちゃ〜(笑)。…結婚する前、交際をしている時に、奥さんと一度別れてまして、そんな時期の買い付け先で出会った可愛らしいネパール人の女性の事ですね。なんの事はない、ただ手を繋いだくらいの関係ですよ(笑)。……こんな質問、やめてよー(笑)! 今も昔も、ただの友達ですよ。今でもたまに英語で会話をするんですけど、「相変わらずヘタな英語だね。全然うまくならない」って言われちゃいます。

ーそんな話を知っていたり、プライベートでも仲の良いSABADOさんとは、どんな出会いだったんですか?

うちの相棒がバナナレコードの名駅店で店長として働いていた頃、そこの社員の女の子がSABADOの妹(ユキノさん)の友達で。そんな流れで相棒とユキノが知り合いになって、いろんな話をする内にユキノから「うちの兄はヒッピーみたいに海外を旅している」って聞いていたから、どんな人なんだろう!? って。ショップをやり出したらSABADOもちょうど日本に帰って来て、そこで初めて会いましたね。27,8歳の頃かな。同年齢というのもあって、すぐ仲良くなりましたね〜。当時、彼がタトゥーショップをやりたいって言っていたので、店を借りる為の100万円を貸してあげた事もあったな。あっという間に戻って来ましたけどね(笑)。

ーおふたり共にカッコイイですね! 出会ってからすぐに仲良くなる“キッカケ”みたいなものって何かありましたか?

同年齢ですしね、う〜ん、仲良くなってしまえば仲良くなるもんですから(笑)、なんでって言われると説明できるもんでもないですね。今でも仲良くしてますが、頻繁に会うって訳ではなくて、年に何回か。夏にキャンプをしたり、一緒にBBQをしたり、鶏の丸焼きを食べたり、家に集まって飲んだり食べたり…

ーそれに付随して、みっつ目の質問です。「すっぽん料理はもうやらないの? (ごちそうしてくれ! )」

言ってない、言ってない(笑)!! ただ、「美味いよ、すっぽん。食べたら? 」っていう話をしたくらいで、ごちそうまでは言ってないですよ(笑)。すっぽんは、店とかではなくて通信販売で買えるんですよ。僕の奥さんは「ニオイが嫌だ! 」って言って食べないですけどね。焼き魚の油のニオイって言うのかな〜確かに独特のニオイがしますね。内蔵はもっと臭いしね。あと、生き血は焼酎で割って飲んだりしないと、とても飲めない。

ー人生一度はトライしたいです! あと、SABADOさんから「バイクの腕前がスゴイ」と聞いてます!

あぁ、トライアルバイクの事ですかね〜昔からやってます。以前は、国際B級のライセンスも持っていて、一応、中部選手権で優勝した事もあります。さすがにA級になるのは無理ですけどね。今でも休日に楽しんでます。昔は毎週練習して、土日でレースに出たりしてましたよ。

ーいつからバイクに興味を持たれたんですか?

バイクはもう27年くらいかな。高校の3年からトライアルに乗ってます。なんでかっていうと、モトクロス車で凍っている池の氷上を走っていた時に、そのまま氷が割れてハマってしまったんですよ(笑)。そんな時にトライアルの練習で来ていたライダーに助けてもらったんです。去り際にウィリーをしている後ろ姿がカッコ良くて、「トライアルをやろう! 」と思ってしまった(笑)。それがきっかけです。

ー普段、公道ではバイクに乗らないんですか?

乗ってますよ、スズキのアドレスV125っていうスクーターに。一番売れているバイクと言われているやつです。と言うのも、僕、バイカーのスタイルってあんまり好きじゃないんですね。「合理的であれば良い! 」っていう考えなので、無理して革ジャン革パンを着ようとも穿こうとも思わない。トライアルバイクも無駄を削ぎ落としたものなので、好きなんですよ。もちろん、トライアルバイクも公道は走れるんですけど、タイヤがすぐに消耗しちゃうんですよね(笑)。日本製の競技用だと走れないとか、海外製だと走れるとか、詳しく言うといろいろとあるんですけどね。

ーでは最後に、昔の大須と今の大須を知る、木下さんから見た街の変化、街への期待など、大須に関して感じる事を教えて下さい。

ショップを始めた頃の大須のお客さんは、「大須には何かある…」って感じで、まだ商店街も完成されていなかったし、街をぶらぶら、くるくる回っていた気がしますね。お客さんの方が店を発掘している感じ。でもその反面、当時は名古屋郊外の人が名古屋や大須へ物を買いに来るっていう習慣が無かったんですけど、ここ10年くらいは、大須も「大須へ買物へ」っていう街に変化したのかなって思います。今みたいにオシャレなモノやこだわったモノを買いに大須に来るっていう、そんな街じゃなかったですよ昔は。…あと、大須の良い所は、上の人が親身になってくれるっていうのはありますね。横の繋がりも豊富ですし、結束も固いですし。ただ、偶然に大須という街があるんじゃなくて、上の世代の人が苦労して作ってきた街だっていうのを若い経営者や若い人にも分かってもらいたいですね。そんな所も大須の魅力だし、これから大須を作っていく側にもなるだろうし、まだまだ大須は変化や進化をしていくと思いますから、そんな背景も大切により良くなれば良いですね。