monkeyflip-岸★正龍さん

ー岸さんの経歴を簡単に教えて下さい

すごく簡単に説明すると、東京で広告制作の仕事をしていて、そこから独立して、タレントショップのグッズを企画、デザインみたいな事をしていた。けれども、バブルがはじけて、会社もなくなってしまった。どうにもいかなくなり、名古屋に戻って、親父の店を手伝っていたけど、自分の店を出したいと思い、動き出したわけです。

ーそれはおいくつの時のお話ですか? また、初めてのお店はどのような形態で?

独立、タレントショップ関係をしていたのは26、7歳。自分のお店を出したのは32歳ですかね。最初は雑貨屋さん。7坪の店でメガネは2坪ほどしかなかったんじゃないかな。メガネ、Tシャツ、お香、ピアス、時計など、いわゆる雑貨屋さんでした。ターゲットは女性、なぜかというと、その周りは女性の流れが多かったから。自分が何をやりたいかよりも、場所に合わせて店のポジショニングを決めてました。そもそもメガネ屋をやろうと思い始めたのは1992年頃なんですけど、色々あって…。当時はまだ、オシャレメガネなんていうのものは市民権を得ていなかった。でも、原宿で見たオシャレなメガネ屋さんを見て名古屋に持ってきたら、いいんじゃないかって思いましたね。メガネが好きだから、メガネ屋を…って訳ではないです(笑)。

ーその頃からメガネはオリジナルですか?

いえ、仕入れでしたね。セレクトアイウエアショップとは言えない、雑貨屋さんのなかにメガネが売られているというカタチ。

ーでは、「MonkeyFlip」の代名詞とも言える個性的なオリジナルが生まれるきっかけは?

オープンした年の12月にパルコさんから出店依頼の連絡があり、西館の1Fにチャレンジショップの話だったので、これはチャンスだと。けれども、自信を持って勧められるアイテムがないなと思っていて、セレクトできるブランドがないならと、オリジナルの制作に動き出しました。これまでにしていた仕事の経験も手伝ってか、オリジナルアイテムを作る事に抵抗が無かったのは幸いでした。手順や流れは分かっていたので、そこでの苦労はなかったですね。

ーオリジナルアイテムのアイデアやデザインを創り出すのは岸さんですか?

デザインやアイデアは、スタッフ、外部のデザイナー、僕の意見から、最終的には僕がジャッジして進めています。全体の9割は僕がやっていますね。どこから閃くのかと、よく聞かれますけど、表現的には“捻り出してる”が一番最適だと思います。

ー初めて作ったアイテムは、やはり覚えていますか?

とんでもないものですよ(笑)。とにかく変わったものだった。8型くらい作ったのかな〜。今でも何本かは残ってます。1本も売れなかったアイテムなんてのもありました。とにかく注目を集める為に、デザイン勝負。一風変わったものを作ろうと思い、インパクト重視のトレンドアイテムをっていう狙いでした。そのおかげもあってか、メディアでは取り上げてもらったり、取材があったりはしました。でも、売れなかった(笑)。当時は掛け心地なんてものは考えていなかった。

ーそこから売れてきたなって思ったのはいつですか?

手応えはずっとなかったですよ。価格もデザインも他に負けてるとは思わなかったのに。なぜだろう? と。続けてきた今も、いつが売れ始めた頃っていうのは、ハッキリとは分からないです。最初から苦労ばかりですよ。セレクトしたブランドが抑えられており、仕入れられるブランドがなかったりして、理想とは違うスタートから始まってます。お金がない頃は、輪転機で刷ったチラシをポスティングして、宣伝してましたね。それも高校から売ってもらった輪転機で(笑)。また、資金繰りが大変で毎月末には、その事ばかり考えていた時期もありました。良かったり、悪かったりの波が結構ありましたよ。

ーアイテム以外にも独特の内装や外装も『MonkeyFlip』の特徴ですよね?

『Super MonkeyFlip』ができるまでは普通のショップでしたよ。普通っていうのは、パルコであったらパルコにありそうなショップとして、ショッピンセンターであったらそこにありそうなショップとして、あるべき姿をしていました。テーマカラーもサーモンピンクとベージュだったんですよ。でも、大須が好きで、大須に来ている若いお客さんがカッコイイと思うショップを作るべきだと。自分がお客さんであったら、もっとコテコテの方がいいと。赤い壁のメガネ屋なんて他にないでしょ!? 気が狂ってるなんてことも言われましたよ(笑)。今でこそ見慣れましたけど、当時は他になかったですから。オープンまでは不安で眠れなかったですよ。

ー今では大須に3店舗あるそれぞれのショップのコンセプトは?

本店は、オリジナルのみの取り扱いで、まさにブランドのヘッドショップとしての役割が大きい。COLORSは、価格帯もリーズナブルなアイテムで構成され、サングラスを中心に、ストリート系のブランドに特化したショップ。ROSSOは、メガネへの入口としての役割。レンズセットのアイテムであったり、ウチならではのアイテムをお見せして、メガネって楽しいものだよっていう紹介も兼ねた見せ方をしています。

ーそもそも「MonkeyFlip」の名前の由来は?

自分の店を持つ時は、プロレスの技の名前を付けようと中学、高校の時から思っていましたから。それでも見ただけ、聞いただけで、誰でもすぐにプロレスの技だと分かっちゃうものは嫌だった。イメージが付いちゃうじゃないですか。だから、詳しい人は知っているくらいの認知度の“モンキーフリップ”にしました。

ー根っからの名古屋っ子、大須っ子の岸さんから見て大須の街は?

子どもの頃の大須は、年配の方向けの街だった思います。パチンコを打ちに来たり、ポルノ映画を見に来たり、一杯呑みにくるような、そんな印象です。アメ横のところに映画館があったり、ボーリング場があったりと。けれども、栄に地下街が出来た頃には、すごく寂しい商店街になってしまっていましたね。日曜にも人が通っていない状況でした。そこから復活する訳ですけど、僕の実感としては、Windows’95がひとつの要因だったんじゃないかなと。それ以前から徐々に、アメ横を中心に電器ショップなどに人が集まっていたんですが、アレの発売時に若い人をはじめ、多くの人が訪れたのが大きいと思います。そこで、アメカジショップだったり、古着屋さんだったりに注目が集まったと思います。

ー大須の街をどうして欲しい、どうしていったらもっと良くなると思います?

街は生き物なので、どうこうしようがないんですけど、もっとこうした方が良くなるのになって思う事はありますよね。商店街の客入りが悪かった時期を知っているからこそ、今に満足せずに対処していくべきなんじゃないかと。いつかはまた、あの頃のようになってしまうんじゃないかなっていう恐怖はありますよね。誰にどうして欲しいというわけではなく、少なくとも自分は、そういう危機感を持っていたいです。同じようなショップが入っているショッピングモールのような感じがないのが、大須の良いところですよね。こじんまりとしていながらも、いろいろ楽しめる大須は面白いですよ。でも、ドンキホーテがあったら便利だな〜って思う事はあります(笑)。