『unchain』代表 小寺茂雄

ーでは、宜しくお願いします! まずは生まれや育ちなど、小寺さんのルーツを教えて下さい。

生まれも育ちも大須! 今のショップからすぐの所に親父の店があって、その裏が自宅でそこで育ったよ。だから、子どもの頃からずーっと大須。学生時代はね〜…バカだった(笑)。横着とか不良とか、そんなんじゃなくて、頭が悪かった(笑)。この間、同窓会があって、その時に同級生から「ひとりだけ教壇の横に机があって、そこに座らされてたな」って言われて思い出したけど、ホントにそんな感じだったな(笑)。高校は商業高校に行って、卓球部だったんだけど、2年からレスリングに変わって、一生懸命やって、その推薦で大学入ったんだわ。ピッタピタのレスリングウェア着てやってたよ(笑)。マナーとして汗を拭く為のハンカチを絶対持ってないといけないし、爪も常に短く切ってないとダメなんだわ。頻繁に相手とぶつかるから、よく鼻血が出るんだわ〜その時にハンカチ使ったりね。

ーそれはいろいろとスゴいですね(笑)。卓球のままなら、また違った道だったかも知れないですね!

うん、本当にそうだと思う。まぁ、学力だけなら絶対大学行けんかっただろうね(笑)。周りは頭悪すぎて、しっかり日本語話せてないヤツもいたんだから(笑)。大学もさ、入学は推薦だからいいんだけど、出る時は頭で出なきゃダメでしょ!? だから、2年留年しちゃったよ(笑)。24歳の時に卒業。……なんか、さっきから頭悪い事しか言ってないよね〜(笑)!?

ーそんな事ないです!! 24歳からすぐにアパレルの世界に行かれたんですか?

婦人服の店をやっている親父を見て育ったから、小さい頃から漠然と服屋になるんだろうなって思っていたし、あんまり他の職業になろうと思った事はないかな。客商売が好きだしね。24歳の時に婦人服の勉強・修行も兼ねて就職。あの、『A.M.I』って時計で有名な会社の婦人服部門に。6年くらい行ってたかな。で、辞めて帰って来て、親父と一緒にやろうと思ってたんだけど、大須の街を見ているとチラホラとオシャレな若者が増えて、古着屋なんかも出来始めた時期でさ。どうしようかな〜って考えてたら、前の会社が豊田で古着屋をやっていて、相談したら社長も「1000枚卸してやるから、大須で並べてみろよ」って言ってくれたから、親父の店の倉庫だった今のショップの場所でやってみたんだわ。でも俺自身、古着を着た事ないから、納品された箱を開けてニオイを嗅いだら…特有のニオイに騙されたと思ったよ(笑)。でも、ザッと並べただけの店にも関わらず、もの凄い勢いで売れたんだわ!

ー「これからは古着だ! 」って感じで古着屋で行こうとは思わなかったんですか?

うん、だから、最初の3年くらいは古着屋だった。Tシャツやポロシャツ、オーバーオールにデニム…って感じでメンズもレディースもやってたんだわ。その時はよく売れたね〜。数十人お客さんが入って、店がパンパンな時もあったほど。それから、時代がヴィンテージとか細かい知識の古着に移行していったくらいかな〜俺自身、古着に詳しくないし、好きでもなくて(笑)、「コレは知識が無いのがバレるな」(笑)って思ったから、半分新品に方向転換。で、東京のブランドに直接やらせてくれって言いに行った。その頃は勝手が分かんないから、某有名ブランドにも「扱ってやってもいいよ」的な事を言ったら、しっしって追い返されたり(笑)。そんな事を繰り返しながら始めていってたね。

ー“とりあえず行動”っていうのがイイですね! ところで店を始める事に関して親父さんは何も言わなかったんですか?

元々、俺と一緒にやるってなった時に親父は「困ったな〜」っていう感じだったみたい。というのも、顔を合わせる度にケンカみたいになるからさ(笑)。だから、倉庫を片付けて、店をやる事には何も言わなかった。古着をやる時も古着特有のニオイに「コレは騙されとるぞ」なんて言ってたり、少し手伝ってくれたり、古着が1日何百枚と売れると「すぐに追加注文しに行け! アメリカまで行け」って言ったり(笑)。それくらいかな。

ー当時の古着人気はスゴかったんですね。その後はどのように変化していったんですか?

最初の頃は若い子向けのアイテムを扱ってたね。高校生から大学生を対象にしたアイテムセレクトで、古着もリーズナブルなレギュラー中心。その後は、レディースにも手を広げて、もう1店舗作って、2店舗経営していた。もう一方の店舗は9年くらい続けたかな。2店舗共小さい店だけど、ある年はもう少しで大台に乗るかってくらい売り上げたからね〜。その頃がウチの最盛期だわ(笑)。ちょっと調子に乗って、毎晩飲みに行ってたな〜。だから全部使っちゃった(笑)。

ー大台はスゴいですね! やっぱり勢いづいてしまう事ってあるんですか?

調子に乗っちゃうんだわ(笑)。その時は、「これからはインポートだ! 」って息巻いて、レディースのインポートをガツッと入れたんだけど、それが大失敗してね。やっぱり、自分で理解していないのに、他の店の見様見真似ではイカンね〜。大枠は合っていても、細かい所まで分かっていないから、どうしたら良いのか分からなくなっちゃう。それで1店は閉めちゃった。今はそっちにあったアイテムと混ぜて、併せて1店舗って感じ。自分が好きなモノばかりを置けている。ナチュラルで気取っていないカジュアルって感じでね。おかげさまで良い感じでやれているし、夫婦で一生懸命やっているよ、うん。

ーなるほど、やはり商売は難しいですね。では、大須の祭り、行事や商店街の集まりに参加していったのはどのタイミングですか?

レディースの店が商店街にあったからかな。でも、最初の3年くらいは参加しなかった。まぁ、いろいろと経緯はありつつも、やっぱり参加していく事になったね。で、連盟に入って2年くらいしたら、第55回夏祭りの実行委員長を任されてね! びっくりしたよ〜いきなりだったから(笑)。俺は頭も悪いし、要領も悪いから、もの凄く苦労したよ〜(笑)。でも、その後の第30回の秋の祭りもやらせてもらったね。新しく取り入れたのは、21:00まで営業とか、ダンスのイベント、夜のおいらんとかかな。TV局からも取材が来たりして、話題になったね。俺は、今までよく失敗をしてきたから、失敗をして怒られる事に慣れてる(笑)。だからなのか、臆せず新しい事ができるし、新しい事をするのが好きなんだわ。とりあえず、やってみる! 話はそれからって感じ。

ーなるほど。では、木下さんから頂いたみっつの質問に答えて下さい。まずはひとつ目「家族と大須どちらが大切? 」

う〜ん、そうだね〜どっちももちろん大事だよね。大須は大好きな街だし、少しでも良くしていきたいと思う。その手伝いができるなら、いくらでも協力したいしね。学校で例えると、仕事が勉強でやらなきゃダメな事なら、町内活動はクラブ活動に似ているかな。家族と大須、どっちかなら、やっぱり家族。さっき少し話したけど、飲み歩いてばっかりの時代もあったから、最近は家族と一緒に夕飯を食べるっていう時間を大切にしている。仕事が終わる20:30くらいには、大須を後に家路を急ぐもんね。家族みんなで食べる夕飯ってやっぱり幸せだよね。まぁ、飲みながらだけど(笑)。

ー飲み過ぎなければ◎ 百薬の長ですから。では、ふたつ目「やっぱり“今”の奥さんが一番? 」です。

えぇ〜、これはちょっとね〜(笑)。……凶暴でコワい女性ですけど(笑)、でも、今のおかあちゃんはよくできた方ですよ。なかなか苦労もさせてるからね、常に有難いと思ってます。修行時代にパルコで働いていた時があって、その時に向かいの店で働いてたのが、今の奥さん。そこで出会ったのが一番最初。向こうもお酒が好きだから、飲みに誘ってさ。でも、俺がなかなか口説けないもんだから、1年くらいバーに通ったよ(笑)。ほぼ毎日くらいバーに通ったから、月20万円くらい使ってたな(笑)。俺も酒弱い方じゃないけど、彼女の方が強いもんね。そんな感じで今に至る(笑)。もちろん、今でも一緒に飲む。なんにせよ、感謝してます!

ー素晴らしい夫婦ですね! ではみっつ目、「アーケード投石事件について、今あーゆう事件があってもシャレで済むのか? 」をお願いします。

コレね(笑)。小学生の時の話だね。以前、4階建てのビルが商店街にあったんだけど、そこから下のアーケードに向かって、同級生が石を投げ捨てたんだわ。そしたら、アーケードに穴が空いちゃって。小学生だから、「こりゃ〜オモシロイな〜」ってさ(笑)。みんなでやって遊んじゃった。当時は商店街も人通りガラガラで、誰も通ってないような状況だったから良かったものの、今ほどの人通りなら、確実に誰かに当たっているだろうね。もちろん、遊んだだけでは済まずに、その後は大人に怒られまくったね。親父が東仁王門通りのお店一軒一軒に土下座同然で謝罪に回ったって言ってたよ。まぁ、でも、そんな人間達が大きくなって、新しいアーケードを企画・デザインして作ったんだから、時代の移り変わりってのは…すごいね(笑)。

ー負傷者がいなくて良かったです(笑)。今と昔の大須を知る小寺さんから見た大須の移り変わりは?

夏祭りの時は今と変わらず大須観音周りに夜店が出て、人もいっぱい集まってたんだけど、それ以外の日なんて20〜30年前は全然! 閑散としてたよ〜。小学生の時はみんなで、“自転車手放しで大須一周できるか? ”って遊んでたんだから。平日の商店街なんてパッと見たら、ひとりも通ってない時もあった。いわゆるシャッター商店街並みだったよ。それに比べると今の盛況ぶりが信じられないほど。30余年前に地下鉄・鶴舞線が開通して交通の便が良くなったり、先人達が頑張って町内活動を行ったり、各ショップの頑張り、秋の大道町人祭りだったり、アメ横や古着屋効果だったり、いろんなタイミングが重なったんだろうね。それで全国でも有数の商店街になっていったんだからさ。もっと昔の大須は店がたくさんあって賑わってて、それから衰退して、老舗が新しい人達にテナントを貸し出して、その人達が新しい風を吹き込んで盛り返した…けど、生粋の大須人(ネイティブ)達がもっと頑張らないとね。俺も含めた2、3代目がもっと、ずっと商売が続けられるように頑張らないと。俺らもそれに倣って頑張らないとね。

ーもっともっと大須を盛り上げたいですね! ちなみに次回の大野さんはどんな方ですか?

クールで毒舌家でありながら(笑)、優しくてお茶目な人だね。10年くらいの付き合い。僕みたいな二等兵が大将クラスのトモさんを紹介するのはおこがましいけど(笑)、お願いします!

ーありがとうございました!