有限会社POLICE 代表取締役 寺西儀高

ー出店するまでの寺西さんの経歴を教えて下さい。

学校卒業後、外車の会社に就職しました。結構大きな貿易会社だったんですけど、自主廃業してしまった。やっぱり車は売るモノでも直すモノでもなく、乗るモノだと。その次に好きなモノはなんだと、自分の中で考えた時に洋服だと。それで、洋服に携わる仕事として、名古屋にあるメーカーに7年勤務しましたね。ちょうど、入社する時にそこの社長に、「27歳で自分の店をやりたいので7年修行させてくれ」と頼んだんですよ。営業やら何やら、色々な事をさせてもらった。オーナーやバイヤーの方達と様々な話をする中であらゆる事を教えてもらいましたね。

ーそれできっちり27歳の時に独立された訳ですか?

そうですね。最初は名古屋市中川区に『ポリス』というお店をオープンさせました。当時は、「他と同じ事をしてもお店の個性が出ないし、他店との差別化を図れない」。ならばという事で、昼の12:00から夜の0:00までの営業時間で、10年間はそのまま営業したかな〜。まだ、名古屋にそんなお店は2、3軒しかなくて、珍しかった。そもそも当時の形態が倉庫のような造りで、その中に夜はバーにもなる喫茶店があったり、そんな事もあったから実現できたのかも知れない。だって当時のお客さんのピークは21:00〜22:00だったもんね。午前中なんて誰も来なかったから(笑)。どこに行っても同じようなアイテムがあり、どこに行っても同じような時間帯っていうのが、自分に取っては「?」だったから、他とは違う所で勝負していかないとって思っていましたね。

ー他と違う事をするって事で無理もあったでしょうね。

年中無休の12時間営業で10年間、よく体がもったなぁって、今となってはそう思います。で、色々な話があって、その後は本山に移転したかな。ちょうどアメ村のハシリだね〜あの頃は。その次は栄、たての街の1階でやって、次は岡崎のメルサ。やっぱり本山のアメ村の形態が面白いという事で岡崎でもやってくれという事で、本山のメンバーがごっそり岡崎に行ったんですよ。メルサの4階でやってましたね。当時は岡崎の街自体を活気づかせた存在だったんですよ。それと同時に悪い噂も挙ってしまったけど(笑)。ワルのオーナー達が岡崎を荒らしているだとか、女・子どもが歩いていればひどい目に遭うぞとか(笑)。本山の時もそんな噂がありましたからね。当時の中学高校の若い子達の親御さんからすれば、そんなイメージだったんでしょうね。

ーその後、大須にお店を構えたんですか?
そうですね、万松寺通りのブルックリンヴィレッジというビルの中に構えました。前々から大須の街に興味があって、視察には何度も訪れていたんですよ。偶然、テナント募集の張り紙があった縁で6年間お世話になりました。そこもすごく良かったんだけど、やっぱり路面店の方が人の流れもあるし、魅力があったという事もあって、探したら今の場所が空いていたので、移転しました。以前はスギヤマ薬局さんがあって、たまたまうどんを食っていたら、出るっていう話をうどん屋のおばちゃんから聞いて、すぐに飛びつきましたね。あの時うどんを食べていなければ、ここにはいないかも知れない(笑)。それが7年前の出来事。

ー20年以上前、営業マンをされている時だと思うんですが、紹介して頂いた櫻井さんとの出会いがありましたよね? 曰く、同い年で同じ業種という事もあり、感じるモノがあるとおっしゃってました。

私の師匠がそうおっしゃってましたか(笑)。名古屋のメーカーで営業の時に、彼のいとこがやっていた尾西のお店で、彼がまだ学生でそのお店でアルバイトをしていた時に知り合いましたね。まだ、彼が泉でお店をやる前に出会っていたんですよね。その出会いがありつつ、年月が流れて再会した時が、彼が話をされた内容の時だと思います。そこからの付き合いですね。同い年ですけど、櫻井氏は人生のすべてにおいて先輩であり、師匠ですね。女性関係も含めて(笑)。ウチで最初に扱ったブランド等は彼からの紹介のモノがほとんどですからね。昔は波乗りにふたりで行きましたからね。

ーお店を出されて20年以上が経過しますが、ちなみに一番厳しい時期っていつですか?

今だね(笑)。今だ今(笑)! 色んなモノを買い過ぎたなぁって思う(笑)。船とかディンギーとか。それでもやっぱりもっとデカい船が欲しいと思っちゃうもんね。ハーレーとかバイクとかそうだけど。買う時には言わずに、買った後に奥さんにはしっかり伝えますよ(笑)。家族があって初めて楽しく仕事ができるから、大切にしないとダメだね〜。

ー櫻井さんからのひとつ目の質問で「いつまで店頭に立つおつもりですか? 」とありますが、いつまでと考えていますか?

立てるだけ立ってやる(笑)。自分の体力が続くまでだね。だって、やっぱり好きだもんね。今でもお客さんから教えられる事って多い。お店以外の話題だったり、自分の周りからは得られない情報が得られたりするからさ。若いスタッフからは、奥にいて下さいって言われるけど、「お前達には負けん!」って張り合ってるね(笑)。

ー櫻井さんからのふたつ目の質問、男50代、これからの夢を聞かせて下さい。

これからの夢ね〜、難しいね。もう30代40代とは違うからね。隠居したいね(笑)。現場には立ち続けたいけど、反面隠居したい気持ちがあるね。20歳の時に人生の目標を立てたんですよ。5年ごとに大きな目標を紙に書いて、人生設計みたいなモノを作った。一応現在、多少のズレはあるけれども、それ通りに進んできているんですよ。ただひとつ違う事は、50歳で引退と設計していたんですよ。でも、いざ50歳になった時に「辞めれんじゃん!」って思った(笑)。ある意味、目標は引退、隠居なのかも知れない。けれども、現場が好きなんでしょって言ってる自分がいる。その葛藤と闘っていくのが50代なのかな。若い子や20代後半の人達は、夢物語でもいいから、紙に書くなりして、明確に目標を持っているべきだと思う。自然とそれに導かれると思うから。

ー勉強になりました。そこで少し聞きづらいですが、櫻井さんからのみっつ目の質問で夜の営みはいくつまでやられるかという事ですが…

死ぬまでやり続けます(笑)! 愛しているんで、当たり前の現役です。秘訣は風呂の中での腹筋です(笑)。普通の腹筋ができなくなってきたんで、風呂の中(笑)。自分が選んだ相手、相手が選んでくれた自分なので、愛があればいつまでもできると思います、私は。

ー最後に大須商店街に対しての思い、意見などは?(夏祭りに対しても)

自分の事だけじゃなくて、周りの事に対してに、自然と意識が変わってきている。家族、地域や街をどうするか、そっちにベクトルが向くのが50代なんじゃないかな。次に繋がる事になるから、お金でお手伝いできない分、体でお手伝いをさせてもらっているという意識ですね。夏祭りなんかでも、祭り男だから楽しい。また、商店街の良い所は団結力があるよね〜。大須は絆が強い! 他の地域、ビルに比べて前向きだし、団結している。自分の時間を割いてまで動くっていうのは、なかなかできないよね。悪い点ね〜…強いて言えば顔ぶれが一緒かな〜って。それを改善すればより良くなると思う。若いオーナーや店長、スタッフが入ってくれば、もっと活気づくと思うんだけどね。