株式会社スミス 代表取締役 櫻井敦夫

ーお店を始められた経緯を教えて頂けますか?

19、20歳頃に初めてアメリカ・西海岸、メキシコに行って刺激を受けまして、その時はまだ“何か”っていうのは、はっきりしていなかったんですけど、表現であったり、自ら発信していきたいという願望があったんです。3年ほど会社勤めもしまして、アメリカのニオイのするファッションを紹介、販売していきたいなぁと、それで28年前、その当時としてはまだ若い、25歳に独立したんですよ。まだ、名古屋にはそんなショップがなかったんですよ、数店しか。今でこそいっぱいありますけど。

ーその頃から、今のようなセレクトショップという形態でしたか?

いわゆるアメカジのショップでしたね。そこからすぐにインポートのアイテムが徐々に衰退していくんですよ。日本の商社がブランドを買って、中国で生産するスタイルが主流になり、アメリカブランドの少ロットのアイテムが姿を消してしまう。その当時、うちも迷ったんです。レプリカの方なのか、オリジナルの方なのか。ちょうどその時(28歳頃)に『HOLLYWOOD RANCH MARKET代官山』と出会ったんです。まさにアメリカで受けたカルチャーショックそのままのショップが日本にもあると。それで、そこの門を叩いたというか、「名古屋でもやらせてもらえないだろうか」と。それが始まりですね。それが基盤となって、今ではヨーロッパのアイテムだとか、世界のいろいろな“いいモノ”を販売させて頂いてます。

ー「HOLLYWOOD RANCH MARKET」を扱う時はスムーズに話は進んでいきましたか?

当時はまだ雑貨等をメインにしていて、服の方は数が少なかった印象ですね。それで、聖林公司という会社も卸に不慣れで、お互いが手探りという状態が2、3年は続きましたね。うちは、全国のなかでも付き合いは古い方なんですけど、今でも向こうは積極的ではないですよ(笑)。良く言えば“商売商売”していなくて、自分のところのイメージをしっかり守っている。利益をメインに考えているなら、手広くいろいろなショップで扱った方が多く利益を上げられるのに、向こうの意見は、自分のところのブランドイメージを考慮して、より具現化できるショップにしか取り扱いをさせないですからね。有名な話が大阪のあるショップが拡大路線に入っていった時、ブランド側から扱いの拒否があったというくらい、堅いというか、イメージ優先なんですよ。頑固ですよね(笑)。

ー現在、経営されている4店舗の色分けを教えて下さい

メンズを中心としたブランド、アイテムの『Masterpiece』、レディースを中心にナチュラルテイストのアイテムの『TROPHY』、元々のアメリカンインポートを今でも継承している『THE SMITH IMPORT STORE』、デニムブランド「BLUE BLUE」を扱っている『HARRY’S STORE』というように、それぞれのカテゴリーを確立させて、それぞれの特色が出るように構成しています。

ー最初に出店されたのは“泉”ですが、現在、泉1店舗、大須3店舗。それぞれの街の印象は?

大須に最初に出店したのは、第二アメ横ビルに出したんですよ。その頃は、宝石屋さんとか、ジーパン屋さんしかなくて、うちは結構“はしり”だったんですよ。歴史ある着物屋さんや下駄屋さんばっかりで、アメカジなど若い人向きのショップはまだなかった。20年前のそれぞれの街の勢いや印象は、テレビ塔付近の方が良かったですよ。大須は日曜でも人は歩いてなかった。本山や泉付近は盛り上がっていたなぁ。今では逆転したと言っても過言じゃないくらいですよね。景気が悪いとは言っても土日になれば、ワァーっと賑わう街に大須はなりましたよね。泉の方は厳しいですよ。

ーどれくらい顕著に表れていますか?

まぁ、今年から始まったわけでないですが、5、6年前くらいからゆっくりと年々下降してきてますよ。昔は泉にもいろいろなショップがありましたよね。『FARMER’S』や高感度のショップだったり、大手セレクトショップが出店していたり。『FARMER’S』の大島さんとは笑い話で話すんですけど、僕が25歳で出店した時、大島さんもテレビ塔の片隅でお店をやっていたんですよ。近くに出店させてもらうので、あいさつに行ったんですよ。そしたら若き日の大島さんが、古着に紛れて奥さんに作ってもらった弁当を食べながらあいさつしてくれましたよ。その次の日には早速、“コレどう?”って帽子か何かを売り込みに来られました(笑)。大須っていう街は下町で、安くていろいろな物があるイメージじゃないですか、それを打破したかった。同じように安いアイテムを販売しても、同じショップが増えるだけ。そんななかで存在感を出すには、“高くてもいいモノはいい”。そういう狙いで、区別して出店したんですよ。

ー28年前の創業から現在に至るまで、一番低迷、きつかった時期はいつですか?

今だね(笑)。売上も28年のなかでは落ちていると言えば落ちているから。それは今じゃないかな〜。でも、いいチャンスだと思ってやってますよ。余分に広げていたものを見つめ直す時期だったり、新しい事を始めるきっかけになっている。『TROPHY』の2階部分も倉庫だったのが、6月26日(土)のオープンを目指して、カフェ&フリースペースとして活用していくから。JAZZ CAFEなるものを作りたい。JAZZのお店っていうとライブがあって、飲み食いして5,000円くらいと、少し構えがちな印象があると思うんですけど、ここはカフェなのでコーヒー代くらいで、いわゆるジャズ・ジャイアンツと呼ばれる方々の往年の名曲を気軽に味わえるスペースにしたいです。イベントもやっていきたいですね。

ーNALさんからの質問で“男50代”これからの夢を教えて下さい

これからの時代のキーワードじゃないですけど、誰か一部の人間が儲かる時代は終わったと思うので、そうではなくてコラボレーションだったり、地域の方々だったり、みんなが潤う事をやっていかなきゃなって思うんです。JAZZ CAFEの発展形として、例えば“大須下町JAZZ FES.”みたいなイベントをやってみたいです。元々、JAZZも下町で生まれたものだから、大須の街の印象とも合うんじゃないかなって。『CESARI』さんはJAZZのイベントをやったりしているし、『Banana Record』さんや大須に有るレコード屋さん、うちや空きスペース、大須観音なんかも巻き込んで、全国的にお客さんを呼べるようなイベントにしたいです。大須の夏祭りでも、境内のステージで演奏だったり、何か絡められたらと思っているんですよ。うちの貸しているスペースの丸の内の隠れ家ダイニングバーでは、トランペット奏者も来ているので、JAZZ系の人間は集められるんですよ。聞く人も演奏する人も、若い方から大人の方までJAZZ人口は思った以上に多いので、ぜひやりたいですね。大須夏祭りは今年で60回でしょ? それだけ続くようなイベントを自分達も作りたい、今に生きている自分達が今だからこそできるイベントをやりたいじゃないですか! それが上手くいけば、有名なアーテイストを招いたり、大須による、大須の為のイベントとして、育っていって欲しいです。

ー音楽好きの櫻井さんにもうひとつNALさんからの質問で、CDをリリースされているとか?

そうなんですよ! うちの会社の人間と、しかもツインボーカルで(笑)。確か2007年だったかな〜。もう残ってないかな〜聞かせてあげたいね。そのCDはJAZZではなくて、割とフォーキーな感じでテーマはワールドワイドの4曲入り。もう今はステージに上がるほどの元気はないけど(笑)。

ー次に紹介して頂く寺西さんと、櫻井さんを紹介したNALさんとのそれぞれとの出会いは?

学校を出て働いていたショップがあるんですけど、そこに寺西さんはベルトの営業マンとして来ていたんですよ。それで同い年、その時は22歳。出店したのは僕の方が早くて、その後、彼もショップを始めるんだけど。そこからの付き合いになります。NALちゃんはね、マッサージの先生が同じっていうのもあるんだけど、その先生の奥さんから話を聞いていた。NALちゃんの方も僕の話を聞いていたみたいで、共通の知り合いを通じて、一回メシでも食べようって集まった時が初めて。今年の2、3月くらいかな。そこで話が盛り上がって、コラボアイテムを早速作ったんですよ。多い時は週に2回も3回もメシを食べに行くほど意気投合しちゃった(笑)。彼の良い所は“早い”よね。有言実行のスピードや行動力がある。優秀なクリエイターですね。

ーそんなNALさんから最後の質問です。今までで一番の無駄遣いは?

無駄遣い(笑)!? ヨットかな〜。元々海が好きでボート買ったりしていたんだけど、ヨットって時間がかかるじゃないですか(笑)、まっすぐ進まないから。引退して時間のある人なら、その時間も有意義なんだろうけど、休みが限られているし、そこまで時間を使えないから。でも、楽しかったけどね〜会社の子達も連れて行けたし。子どもの頃から好奇心旺盛で習い事は結構やったかな。大人になってからは4、5年前に3ヶ月ほど習った三味線かな、津軽三味線。弾く事はそんなに難しくなかったけど、奥が深すぎてね(笑)。今はギター一本、マメが無くなると痛いからTV見ながらでも触るようにしてるかな。元々音楽好きで、いろいろな音楽の背景の上で、JAZZ FES.の構想を練っていた訳ですよ(笑)。