(有) magic children 代表 原佳希

ーまずは原さんのおおまかな経歴を教えて下さい。

元々、父親が『UNCLE MEAT』をやっていて、それもあって、自分は違う道に進もうと思っていたんです。小さい頃から教師になりたかったので、愛知教育大学に進学しました。で、2年生時に教授の考えや色々な事が自分に合わなくて(笑)、ちょうどバイトをしていた『CRACKER』(『UNCLE MEAT』の系列店)が人手不足という事もあって、大学を辞めて手伝うという感じで働くようになった形です。そうこうする内に自分自身でやりたいなと思ったので、独立しました。今となっては、これからオープンするお店などでインテリアや店舗什器など、服ではない商品も扱ってますが、当時はどうしても服屋がやりたくなってしまったんですよ。

ー独立と同じタイミングで『store in history』が誕生したんですか?

独立して1年はガラッと変えるなっていう父親との約束を守って、『CRACKER』はやっていたんです。一年経ったちょうどその日に、変えました。僕がやりたかったのは、『store in history』みたいな古いモノと新しいモノが、当然の様に一緒にあるお店っていう空間を創りたかったので。元々、上前津に『store in story』というお店をやっていた西岡と、東京に行ってしまったんですが、ウチで扱っているブランドの「ohta」のデザイナーの3人で“マジックチルドレン”というイベントをやっていて、その時から同じモノを共有していた縁ですね。一緒にやるのは最初からあったプランではなくて、元々、西岡とはライバルのような関係だったんですよ。僕は古着で、彼はセレクトショップとして頑張っていくっていう方向性だったので。でも、僕がプライベートで着る服と言えば、彼のお店で扱っているアイテムと自分のところで扱っている古着を混ぜたスタイルだったんですね。ある時、このスタイルをお店で提案すれば面白いんじゃないかなって思ったんです。それを西岡に相談したら「いいね」という感じだったので、大須の今の場所に『store in story』を移転させて、『CRACKER』と合体させて『store in history』誕生したという流れです。

ーかなり斬新で新しい試みですよね?

そうですね、当時は新しかったんじゃないですかね。今となってはそこまで新しくはないかも知れないけれど。でも、古着屋が新品の、あそこまでモード色の強いアイテムを取り入れているお店は名古屋で珍しいですよね。今の若い子達は、そういうスタイルが多いんじゃないですかね!? 古着も新品も混ぜた感じって。僕らとしては、混ぜて当然と思っていたので。

ーそういうセンスが磨かれたきっかけって何かありますか?

う〜ん、でも、小学校低学年から服は好きでしたね。影響を受けたのは同級生の友達ですね。すごいオシャレだなってずっと思ってた子がひとりいたんですよ〜。高校くらいの時は、ずばり「この人がオシャレのカリスマだ」って思う人が大阪の古着屋さんにいたんですよ。『ピースロック』っていうお店で今はもうないんですけど。そこに出入りしていた“ユースケ”さんっていう個性的な人が好きでしたね(笑)。大分オシャレでしたね〜10年以上前に40歳くらいだったので、今50歳は超えているでしょうね。雑誌のカジカジをディレクションしていたそうですよ。ナマズの様な髭が特徴的で(笑)、常にコート着用で斬新でしたね(笑)。今はどうされているのか全然分かんないんですけどね。とにかく当時は奇抜な大阪の人に憧れを抱いてましたね。17、8歳の時は毎週と言っていい程、大阪に行っていました(笑)。

ーそういった強烈な出会いの中、教師を目指していた訳ですが、服飾の専門学校へ行こうとは思わなかったんですか?

そういう気持ちは無かったです。父親がそういうお店をやっていたのが大きいですね。「こっちの道はやめておけ」って言われていたんですよ。僕が高校生の時に「古着屋さんをやりたい」って言ったら「絶対にやめた方が良い」と。そして、「それが一番やりたいことなら、二番目にやりたいことを作れ! 」って言われたんです。ちょっと意味が分からなかったんですが(笑)、昔ながらの“コワい親父”だったので、父親がそう言うならそうするしかないと思って、二番目に何がやりたいのかなって自問自答したら、教師だったんです。昔、小学校の時に少し不登校の時期があって学校に行ってなかった事があったんです。それを救ってくれたのが先生の一言だったので、自分もそういうきっかけを創ってあげたいなって思い、服屋以上にやりたい事はそういう事かなって。それで、勉強して愛教大に入ったんです。でも、まったく肌に合わずに中退しましたね。

ー具体的に肌に合わないところってどんなどころだったんですか?

ちょうど僕が大学1年の時がゆとり教育を導入するかしないかっていう時だったんです。それに僕はすごく反対で、“教育の多様性の会”っていう非営利団体があったんですけど、僕はどっちかと言えば、愛教大ではなくてそちらの考えに賛同していたんです。ところが愛教大側は、功績のある教授が推し薦めるゆとり教育をプッシュしていたんです。僕は当時、低年齢化論っていう論文を授業の時に書いたんですけど、その内容は、どんどんどんどん色んな事が低年齢化していくっていう理論なんですね。例えば、携帯電話は最初大人しか使用していませんでしたけど、徐々に大学生が持ち、高校生、中学生、果ては小学生と言う具合に…簡単に説明するとこういう事なんです。または、性の部分だったり、あらゆる面でそういった事が起きると。それを教育に置き換えると、今の社会と同じ様にすごく多様化していくと思ったんです、子ども達が。「小学生が多様化していくのなら、教師も多様化していくべきなんじゃないか? 」って考えていたんですよ。僕みたいな教師がいてもいいし、ガリ勉気質やパソコンの得意な教師がいてもいいんじゃないかって。それを提案したけれども、大学側は真逆のゆとり教育を推進していた。その時に、学校の先生になりたいんじゃなくて、教育の多様性の中に自分の役割を持つべきで、何も教育現場だけが教育をする場じゃないないなと。学校・家庭・社会とみっつは密接に繋がっている訳だから、社会の立場から起業して、意見を主張していけば、それも教育の一部分になるんじゃないかって思ったんです。だからこそ、潔く退きましたね。特にファッションは若い子達の眼差しが熱いのでね。いずれはうちのお店から発信している事が教育に繋がっていけばいいなと思ってます。

ー全く別の道であったものが、原さんの中では繋がっているし、当時の志も今に活きている訳ですね。

でも、他のスタッフは良いモノを売って売上を上げたいだろうし、オシャレが好きでこの仕事をしているだろうし、好きな事をやってお金を稼ぎたいと思っている人ももちろんいると思うので、僕のこの考えをあまりにも全面に押し出していくのは違うかなとも思いますね。最初の考えはそういった形でしたね。今はそれを仕事と直結させ過ぎるのは良くないと思うし、仕事はみんなと一緒にやっている事なので良いお店を創っていくという共通意識を大事にしています。“今の仕事と教育を結ぶ”っていうのは、あくまで自分自身の趣味というかプライベートな問題なので。教育の事を考えるのは何より好きですね。当時、教育を志す者や教育者の大半は、ゆとり教育を危惧していたと思うんですよ。でも、10年ほどそのまま突き進めてしまった。ちょうどうちのお店に来てくれるお客様の一番若い方々の年齢がそうであったり、うちの20歳くらいの若いスタッフもそうですし。そういう方々と会う時は、う〜んと考えさせられますね。やっぱり教育って通り過ぎていくフィルターのようなものなので、大学に入ったばかりの事を思い出しますね。あの頃、もちろん僕ひとりでどうにかなった訳ではないですけど、やっていなければまた違ったのかなって思いますね。もちろん昔と変わりなく育った子もいますし、変わったなって思う子もいますからね。少なくとも子ども達には責任はないんですけどね。

ー大須は人間関係の中で上下関係や古くからの歴史など、厳しさや決まりが多い印象ですけど、どうですか?

そうですね、大須または名古屋は、上下関係を重んじる良い街だと自分は思います。自分も先輩に育ててもらったという実感がありますし、それを今までの様に下の世代に繋げていきたいという思いがあります。体育会系とまで言いませんけど、うちの父親なんかがやっていた時代ももちろん、やっぱり流れの中で成長してきたところもあると思うので、そういった気質であったり、歴史っていうのは切ってはいけないのかなって、最近になって思います。父親が大須にお店を出したのは19年前に今の『uncle living』の場所なんですけど、当時は良い時代でしたよね〜。当時の大須は古着屋さんのイメージがまだ無くて、うろ覚えですけど怖いイメージでしたよ。「この道は入ってはいけない」だとか。でも、「だからこそ行きたい」と思わせる魅力がありましたよ。それがすごく面白かったですね(笑)。言い方は悪いですが、すごく怖いし、ヤンチャな人だけど、格好だけはすごくカッコイイというスタッフさんが多くいたので、憧れましたね。今となっては、大須の街や古着屋さんに求められるモノ・コト・ヒトが、変わってきてるんでしょうね。スタッフ募集をして、面接時に聞かれる事がまず福利厚生って、昔では考えられなかった(笑)。そもそも、大学出のスタッフさんがいませんでしたし、学歴が無くてもすごく儲けられる時代がありましたからね。

ー今の風潮として、スタッフさんの接客態度やお店のまじめさはあって当然と思われてますもんね。

果たして古着屋にまじめさって要るのか!? って思いますね。だって、極端な話、まじめに働く気がなくて、いいかげんな男だから、そういう商売をする訳じゃないですか。けれども、古いモノに関しては、人より特化しているから成り立つ。そういった長所を活かした方が多かったですけど、今はまじめにやって、学歴も接客態度も完璧だけど、なかなか繁盛しないっていう時代ですよね。だからこそ、まじめさって必要かなって悩みますね。善し悪しは分からないですけど、昔は尖った感性や人柄の人が多くいて、それでも成り立ってはいたんですが、ここ20年の大須の変化の中で、そんな人達がいなくなってしまったのは事実ですよね。尖っていれば良いとはもちろん、思いませんけども。自分自身やお店としては、やっぱりまじめが大事になってしまうんですけどね(笑)。

ーお店のコンセプトや買い付けなど、「うちはこうだ! 」っていう部分はどんなところですか?

そうですね、『UNCLE MEAT』は大須観音の目の前なので、入口的な要素も大いにあると思うので、色々なアイテムを揃えて、ターゲットはあまり明確にせずに幅広くやろうという考えですね。買い付けに行った際は、とにかく普遍的なアイテムを狙っています。昔は、他の店がやらないようなレディースのアイテムをメンズ向けに買い付けたりしていたんですけど、今はそれも普通になってしまったので、とにかく安くて良いモノを。ヴィンテージではなくて、雑貨なら100円〜、古着なら1000円〜買えるお店にしたいなって思ってますので。

ーそんな買い付け時にあったエピソードとして「買い付け時、今までで一番のビックリエピソードは?」と小川さんから質問を頂きました。

これね(笑)、少し考えたんですけど、9.11テロの時の話なんですけど、事件のあった次の日くらいに渡航する予定だったんです。もちろん空港も封鎖されてしまったので、2週間、3週間後くらいに行ける事になって、そしたら、ジャンボ機に搭乗してるのが15〜20人くらいで(笑)、ひとり1シートではなく、1ライン自由に使えたので良かったんですけど(笑)。で、空港に着いたら、いつもは無いゲートが多く設置されていたり、銃を持った米兵がズラッと並んでいたり、いつもとは違う景観に驚きましたね。それも常にトリガーに指をかけている状態(笑)。

ーそこでふざけました(笑)?

いや〜そこでふざけれたらもっと大物ですよ(笑)。今までに無いくらいまっすぐ歩きましたよ(笑)! 本当にビックリしました〜。やっぱアメリカだなって思いましたね。あと、もうひとつ驚いた事は、さっきの厳重な様相のデトロイトの街もあれば、実際買い付けに行くオハイオ州では、いつもと何ら変わりない状態っていうアメリカらしさを味わった事ですね。N.Y.であったテロを知らないんじゃないかってくらい穏やかでしたからね(笑)。あとは、タイに行った時に初めて銃口を突き付けられたっていう経験ですね。タクシーの運転手に知らないところまで連れられてしまって、薄暗い裏通りで金を盗られたっていう。乗っちゃいけないタクシーに乗ってしまった。色々と勉強させられましたよ〜タイには(笑)。

ー買い付け時は時間がなくて“遊んだり”はなかなかできないんですか?

そうですね、なかなか遊び場自体がないですし、時間も限られているので難しいですね。オハイオってところがまた、何も無いので尚更ですね。以前、『CRUNCH』のオーナーとL.A.に買い付けに行った時に驚きましたね。こうやって遊ぶのかと(笑)。街自体もオハイオとは比べ物にならないので、遊ぶところもたくさんあって面白かったですよ。でも、アメリカでは滅多に遊ぶ事はないんですけどね。やっぱり時間が限られているし、強行スケジュールで渡航してますからね。まぁ、好きな事を仕事にしているし、買い付け自体が面白い事なので、変なアドレナリンが出て、欲が抑えられている状態ですよ(笑)。

ーなるほど(笑)。では小川さんからのふたつ目の質問です。「いつからそんなに物知りなんですか?」

分かんないですよ(笑)。その質問をooooosu! で見た時、「なんて事を聞くんだ! 」と思いましたよ(笑)。考えた結果、きっかけはコレかなって思う事は、高校の時から大須でバイトしていたんですけど、先輩達を見ていると音楽好きな方がいっぱいいたんですよ。それに比べると自分自身はそんなに音楽に興味無くて、バックボーンがまだ無かった。それをある先輩に嘆いた事があったんです。「音楽に特化していない自分がこのまま古着屋をやっていいんですかね? 」って。そしたらその先輩は「音楽好きももちろん良いけど、それに負けないくらい色んな事を知ってればいいんじゃない」って言ってくれたんです。その時に、目指すは何でも知っているスタッフだと思いましたね。当時のお店は雑貨から何から色んなアイテムがあったので、とにかくお客様から聞かれる事が多かった。だからこそ、詳しくなった、ならざるを得なかったって感じです。元々、知りたい事や気になる事が多いんでしょうね。うちのスタッフでもよく勉強したいって言う子がいますけど、教科書もないし、決まった勉強方法なんて無いから、「なんでだろう? 」と思う事が大事だよって教えてますね。その点を増やしていって、関連する事柄がくっついて塊になった時が知識になるんじゃないかなって思います。でも、僕の場合は広く浅くなんですけどね(笑)。

ー知的好奇心を大切にするって事ですね。最後の質問です。「現在、原さんが少し気になる物、なにかありますか?」

やっぱり古物、アンティークですかね。特に日本のモノに興味がありますね。ずっとアメリカのモノばかりだったんですけど、今目の前にあるテーブルも日本のモノだし、新しくオープンする『STORE IN FACTORY』にあるモノは結構日本のモノが多いですね。アメリカのモノに固執し過ぎずに、今の生活に合った普遍的なアンティークをなるべく提案していきたいなって思ってます。日本の古いモノ・コトに興味が湧いてますね。多くの古着屋さんがそうだと思うんですけど、時代と物事を照合していく作業が好きなんだと思いますね。60年代の雰囲気とモノ・コト、時代背景など、「なんでこの時代にコレが? 」っていうのを考えるのが好きなんですよね。あとは、セレクトショップを経営してるんですけど、その事が一番気になりますね。今の時代の流れだと、セレクトショップ自体が無くなると思うし、必要がない、単純にヤバいですよね。この流れだとオンリーショップが多くなるだろうし、多くのセレクトショップは淘汰されていくと思うんですよ。けれども、その中でうちのお店が生き残って欲しいし、そうしたい。時代を照合しながら、今を、今に照合したいっていう思いが強くなってます。そうなると地域性が重要視される。名古屋、大須に根ざしたお店しか必要じゃなくなると思うんですよ。昔の事ばかりやってきたんですけど、“今”をどう予測してお店を走らせていくかが、一番楽しみだし、面白そうですね。怖いですからね、これからのセレクトショップ事情(笑)。