あのとき、ああしたから、今の私がいる。
『unlike.』の尾崎有貴さん
―今回のTALK RELAYのゲストは『unlike.』の尾崎有貴さん!ってことで早速!現在、有貴さんは栄でご自身のショップを経営されていますが、アパレル業界に興味を持ちはじめたのっていつ頃ですか?
小学校の高学年からです。当時の私は、ZipperやFRUiTSに夢中で、MilkやHysteric Glamour、古着に合わせて自分で服をつくったりアレンジしたりしてオシャレを楽しんでいました。大きな分岐点は中学3年、今後の進路について考えたときだったと思います。
―そのとき、有貴さんはどのような進路を選んだのですか?
ファッション系の学科のある、名古屋の某高校への進学です。技術的な面を学びたいのはもちろんでしたが、本音を言うと、毎日買い物に行けるような環境への憧れの方が大きかったです。私の地元には、当時の私が求めていたものが全くありませんでしたから。なので、進学することよりもむしろ、定期を手に入れることが最大の目的でしたね(笑)。
―志望校に合格し、名古屋への定期券を手に入れて、その後の有貴さんの毎日は変わりましたか?
激変しました(笑)。中学時代までは不可能だった名古屋への行き来が好きなだけできるわけですから。行きたいショップを片っ端からまわりました。服屋さんやレコード屋さん、様々なお店に通っているうちに、だんだんと自分に合うお店がわかるようになってきて、そこで過ごす時間が多くなっていきました。あの3年間の日々は私にとってかけがえのないものです。高校を出てからアメリカに渡るきっかけも、当時のつながりで出会えた方からの影響がとても大きかったです。
―渡米したのですか?
はい、ニューヨークに5年間。高校卒業後に勤めていたショップでお取り扱いさせて頂いていた、某ブランドのデザイナーさんからお話を伺って、興味が沸いたんです。実際に向こうで暮らす前に下調べで3日間ほど滞在してみたところ、期待通りの魅力的な街だったので渡米を決意しました。3日間のうち1日はブリザードでしたが(笑)。
―すごいですね、その行動力!ご両親は有貴さんの渡米にOKしてくれたのですか?
最初は許可してくれませんでしたが、納得してもらうためにプレゼンをしました(笑)。なぜ私が渡米したいのか、向こうにいってからどんなライフプランを構想しているのか、結果として、自分の人生にどのようなプラスをもたらすのか?といった旨を熱く伝えたところ、なんとか親に認めてもらい、晴れて私はアメリカに渡ることに。英語は全く話せませんでしたが(笑)。
―英語が話せないとなると、現地ではかなり苦労も多かったのでは?
最初のうちは「Yes」と「No」だけで、なんとか乗り切りました。でも、さすがに勉強しましたけどね。中学時代の教科書で復習したり、語学学校に通ったり。ただ、一番効果的なものは日常生活の中にありました。4年近くBrooklynにある某ヴィンテージショップのスタッフとして働いていたのですが、お客様との会話を通じて、必然的に英語力が身についていったんだと思います。話すことができなければ仕事にならないし、生きていけませんからね(笑)。
―なんか、たくましいですね!実際に5年間、ニューヨークという街での暮らしてみていかがでした?
とてもたのしかったです。街は感性を刺激してくれるもので溢れていましたし。私は音楽が大好きなので、毎日の様にライブハウスに通っていました。よく「危険な街だったでしょ?」と人から聞かれますが、私自身はそんなに危ない目には遭いませんでしたね。でも、とある日に友人がスケボーをしていたら、注射器を持った男に「素敵なスケボーだね。オレ、エイズなんだ。それちょうだい。」と注射器を向けられたという話を聞いたときは「あ、ニューヨークっぽい」って思いました(笑)。
―たしかに、ニューヨークっぽい!(笑)そんな刺激的な街から日本に有貴さんは戻ってきました。
はい、ビザが切れるタイミングだったので。向こうでの暮らしを続けるという選択肢もありましたが、ビザの切り替えなどの諸々があまりにも困難だったので、そこに注ぐ労力や予算を使い帰国して自身の店を持つという道を選びました。
―店を出す街を名古屋に決めたのには理由があるのですか?
慣れ親しんだ街ではあるので、想いはありました。当初、東京も考えていたのですが、東京には物や店、人が溢れているので、自分が何か新しい事を始める必要性をあまり感じられませんでした。栄のこの場所に『unlike.』をオープンしたのは、以前通っていたこのビルの2階にあったお店の奥に素敵なバルコニーがあったのを覚えていて、バルコニーが決め手でした(笑)。
―実際に自分の店を持ってみて、いかがでした?
最初のうちは苦戦しましたね。全然お客さんが来なくて。アメリカから帰国してすぐにお店をオープンしたので、、
―どのようにして集客を伸ばしていったのですか?
好きなレコード屋さん、クラブや、飲食店、様々な場所に足を運んで、とにかく知ってもらうことに努めました。振り返ってみると、あのとき、もしあそこに行っていなかったら、という場面が何度もありましたね。そういう大切な人たちとの貴重な出会いに恵まれたからこそ、今の私があると思います。
―そんな有貴さんが大切にし続ける『unlike.』はどんな店ですか?
「unlike/似ていない、他と異なる」がコンセプトのお店です。もともとは日本未上陸もしくは名古屋では手に取る事が難しいインポートブランドとヴィンテージオンリーのお店だったのですが、為替の変動などの影響によりお客様にご迷惑をかけないためにも、2年半前からドメスティックブランドも扱うようになりました。名古屋では手に取る事が難しいブランドやヴィンテージの取り扱いという意味ではオープン当初から変わりません。服だけではなく本や音楽、展示やイベントなど、単純に私の好きなものやカルチャーを集約したような場所として展開しています。
―あてもなく、ふらっと立ち寄りたくなる店ですね!ではここらで、前回の吉田さんからの3つの質問!ひとつめ「独立して自分のお店をやるきっかけは何ですか?」
帰国してからどこかに勤める自信がなかったので(笑)。もともと私は型にハメられるのが苦手で、、それに、向こうで培った経験をいかしたいという気持ちもありました。経営の経験はゼロでしたが躊躇はしませんでした。 当時の名古屋には「ヴィンテージ×若手デザイナーズブランド」を提案するショップがあまりなかったので、私のやりたかったスタイルが受け入れられるかもという期待もありました。
―ではふたつめの質問!「海外から仕入れる古着が印象的です。出張時の一番の楽しみは何ですか?」
ニューヨーク近郊を中心に、買い付けに行くのは年に3回。そのときのたのしみはライブハウスやギャラリー巡りです。商品探しだけではなく、感性を吸収すること、それも海外に行くときの目的であり楽しみです。
―ラストの質問!「写真の展示やBARイベントなど服以外の企画を行っていますが、その理由をお聞かせください」
アートやカルチャーなど、「日常+a」を感じることで人々の生活や心はより豊かになると信じています。単純に好きな物事を誰かと共有したいという気持ちは服に対する気持ちも一緒で、幸せを他者と共有出来る場所としてunlike.を利用して頂けることは私にとっての最大の喜びです。たとえば、昨年も開催した「Dark Room Bar」では、赤と黒をテーマに写真を現像する暗室にバーをつくりました。お客様はその空間で映える服は何かを考え、行く前から「何着てく?」と楽しんでいただけたようです。そういった「おしゃれをしていく場所を提供すること」も、私たちこの業界の人間が果たすべく役割のひとつかもしれませんね。
プロフィール
『unlike.』
尾崎有貴さん
ファッション系学科のある高校を卒業。ショップスタッフ時代に出会ったデザイナーの影響で渡米。ニューヨークで5年間ヴィンテージショップのスタッフとして働く。帰国後、名古屋の栄に『unlike.』をオープン。西尾市出身。
Q. そもそもどの様な経緯でSocial Tower Marketを開催するに至ったのですか?
Q. イベント開催時の最大の喜びはなんですか?
Q. Social Tower Marketとしての今後の目標、夢はなんですか?