TALK RELAY 『WATER7』 小島康宏さん

―はい、今回のTalk Relayは『WATER7』の小島さんッス!!! どうも。 ―小島さんのお店といえば、そう、あの大人気マンガ『ONE…

TALK RELAY 『SIEG ZEON』兒玉さん

―今回のTalk RelayはBAR『SIEG ZEON』の兒玉(こだま)さん!!! よろしくです。 ―兒玉さんといえばド派手なモヒカンヘアーが・・・あれ?! 髪、切っちゃいました。 ―そ、そうなんスか? ボウズ頭もキマッてますけど、なんでまたボウズに??? なんとなくね(笑)。でも、また髪が伸びてきたらモヒカンにする予定ですよ。 ―そうスか。それを訊いたらなんだかホッとしました(笑)。兒玉さんの緑のモヒカンは大須の象徴のひとつですからね。ちなみにモヒカンヘアーにしてるときの兒玉さんはこういう感じッス。 ―ってことで、本題に。前回の樋渡さんとはどういう関係なんスか? 平たくいえば、同じ街に住む者同士。いわゆる仲の良い顔見知りです。お互い店をやっているので、それぞれの店を行ったり来たりしています。 ―けっこう大須で飲んだりするんですね? ええ。一緒に飲むのは商店街の仲間がほとんど。誰かと約束して…とかではなく、その店に行ったら誰かしらがいて、その人と飲むパターンが多いですね。以前は何軒かハシゴして朝まで飲み歩くこともよくありました。しかも、ほぼ毎日。最近は減りましたけどね。ちなみに、今日も二日酔いです(笑)。 ―どうりで酒臭いと思いましたよ~。いや、嘘です!!(笑)でもそんなにお酒な場面が多いと、失敗談のひとつやふたつありそうスね?? そうでもないですよ。強いて挙げるなら、急性膵炎になったくらいで。 ―それってガッツリ系の病気じゃないスか! くれぐれも飲み過ぎには気をつけてくださいませ! ところで兒玉さんのお店『SIEG…

TALK RELAY 『有限会社イマジン』樋渡さん

―今回のTalk Relayは、有限会社イマジンの代表取締役・樋渡さん!!! どうも。 ―それにしても樋渡さん、キモノな着こなしが粋ですね~。 ありがとうございます(笑)。いつも私はこのスタイルです。 ―前回の井上さんも、樋渡さんは見かけるたびにキモノを着ている、と言っていましたが? そうですよ(笑)。ほとんど毎日キモノです。オンのときもオフのときも、いつだってこういう感じなので。 ―すごい!それって、ひとり時代劇状態じゃないスか!やっぱし普段からキモノだとけっこう注目集めます? ですね(笑)。特に外国の方には珍しいようで、大須でその辺をぶらついていると、一緒に写真を撮ってくれって頼まれることもありますよ。あと、仕事のときなんて、初対面の相手だと、決まってまずこの話題からはじまるかな。だから、そういう意味では良いコミュニケーションツールにもなっていると思う。 ―たしかに。キモノにはそういう威力、ありそうスね!でも、個人的な意見ですが、着るのがちょっと大変そうなイメージが・・。 いや、そうでもないですよ。特にオトコの場合はラクだと思います。言っちゃえば羽織るだけですからね。ま、帯紐とかは巻きますけど、そんなの大したことじゃないから。 ―じゃ、逆にデメリット的な部分とかあったりします? う~ん・・あえて挙げるとしたら、たまに椅子の肘かけやドアノブとかに袖を引っ掛けちゃうことかな。でもそのおかげで、日頃から所作には気を配るようになったと思います。だから、ちょっとだけ女性的な動きになっているのかもしれません(笑)。あと、よく「洗濯とかどうしてんの?」って訊かれますけど、絹の着物は洗えませんが、木綿の着物ならガンガン洗えますからね。 ―そうなんスか!でもまたどうして、キモノにハマったんです? 何年前のことだったか定かではありませんが、妻とね、盆踊りに出掛けたんですよ。ふたりとも浴衣を着て。そのときにキモノの持つ機能美や、この国で代々受け継がれてきた伝統美など、いろんな面から「いいな」って気に入っちゃいましてね。それがキッカケです。 ―なるほど。そして、好きが高じてこのたび『男キモノ&BAR蛙屋』をオープンした!ってことスか? ええ。もっとキモノというアイテムを多くの方々に向けて提案・発信したいなと思いまして。また、多種多様な店々が集まる大須において、新たな選択肢のひとつとして街に貢献したい、という想いもありましてね。 ―蛙屋さんの特徴といえば・・? 反物から仕立てるカジュアルなテイストのデザインが、うちのキモノの特徴です。特に男性には普段から気軽にキモノを取り入れてもらいたいし、実際それは可能だと思うので、店名にはあえて「男キモノ」と入れさせてもらいました。お仕立てなので実際には女性着物も注文受けますけどね(笑)。 ―そうなんスね!にしても、BARがくっついている店舗スタイルには、だいぶそそられまッス!!! ありがとうございます(笑)。BARを併設したのは、どうしてもキモノを扱っているお店って敷居が高く感じられがちなので、そういう独特なイメージを少しでも払拭したかったんですよ。だから蛙屋では、酒を飲みながらキモノを見て、あーだこーだと話をして、いろんな人たちに楽しんでもらいたい。そういう想いでBAR付きのショップにしました。ま、私と妻がお酒好きってこともありますが(笑)。 ―いいと思いまス!そういう理由!ってことで前回の井上さんからお預かりした3つの質問を!ひとつめ「いつも着物の樋渡さんですが、洋服は持っていないんですか?(笑)」 持っていないです。もちろん昔は持っていましたよ。専門学校の先生をやっていた当時は、金髪でピチTに女性のパンツ、みたいなスタイルをよくしていました(笑)。 ―え!!先生だったんスか??そのサラッとしたカミングアウトで、一瞬、もともとの質問の答えが吹き飛んだッス!!!ではふたつめ「お酒好きの樋渡さんですが、飲みすぎての失敗談は?」 ん〜、ありますね!妻と二人で飲み過ぎてしまい骨折したりMRI撮る羽目になったりといくつかありますけど…妻から口止めされているのでこの辺で(笑)ただ基本的にお酒は強い方だと思います。日本酒も一升くらいなら軽く飲めますし。まあ、一人ではあまり飲みに行きませんけどね。お酒って、誰かと一緒に酔ってこそ楽しめるものだと思いますから。 ―たしかにそーッスね!じゃ続いてラストの質問。「いつもニコニコ樋渡さんですが、直さん(奥様)に噛みつくことはあるんですか(笑)」 あんまりないですね!ということにしといてください(笑)ふたりともサバサバしているタイプなので、いつも仲良し!夫婦円満ですよ♪ ―う、う、う、うらやまスィー!ってことで、今回のTalk…

TALK RELAY 『Russy』井上さん

―今回は大須商店街の万松寺通にある『Russy』の井上さんのご登場! よろしくお願いします。   ―それにしても相変わらず楽しーッスね!井上さんとこの店!いろんなフィギュアや雑貨がいっぱいで、見ているだけで何だか笑顔になっちゃいます! はは(笑)。ありごとうございます。自分としては毎日のことで、しかも仕事だからそんな気持ちにはなりませんけど、そう言ってもらえるとうれしいです。「子供からお年寄りまでが楽しめる!」がRussy(ルーシー)のコンセプトなので。   ―いやいや、用がなくても覗きたくなる店ッスよ、ほんと。ちなみにいつでしたっけ?Russyが開店したのって? 2000年からです。もともとこの場所には、うちの店があったんですけどね。だから私自身、就職していたときは少し離れはしたものの、小さい頃からずっとこの街の住民です。ゲーセンのスカイに通ったり、スーパーのサノヤでバイトしたり。この店の半径100メートル以内には同級生の家があちこちにありますからね(笑)。   ―根っからの大須っ子なんスね!ところでRussyの前の店舗って何屋さんだったんスか? ガクブチ屋でした。で、その店をたたんでオモチャ屋にしようかってなったとき、私はそれまで働いていた楽器関連の会社を辞めて家業の手伝いをはじめたんです。22歳のときでした。   ―そうなんスか!でも、ガクブチ屋からオモチャ屋に事業をシフトするのって、なかなか勇気のいる決断だったんじゃないスか? そうでもないですよ。家族みんなで話し合った結果だったので。というのも実はその頃、私の知人に東京でギフトショーをやっている人がいましてね、そのつながりからヒントを見いだしたわけで・・。   ―キタんですね?嗅覚がギュンギュンと! ま、ちょっとキましたね(笑)。あくまでもビジネスとして。   ―ってことは、井上さん自身、オモチャにはそんなに興味がなかったと? ええ、まったくありませんでしたね。あの頃も、今現在も。   ―なんか意外ッス!!!もともと好きが高じてオモチャ屋をやる人が多いのかなって、勝手に思っていましたので。 私の場合、そうじゃないですね(笑)。   ―でも、だからこそかもしれませんね。仕事として割り切れるからニーズを的確にとらえることができ、その結果としてお客さんの満足のいく商品展開を実現できる・・。 ってタイプですね、うちの店はモロに。   ―となると、興味がない分だけ大変そうスね。商品管理とか。 仕事ですから(笑)。たしか、アイテムの種類は3000ほどあります。でも、細かいのもたくさんあるので、正確な数字はわからないですね(笑)。   ―ですよね~。お店の中には、もう、ウジャウジャってくらいに陳列されてますもんね。ま、僕らにとってはそれが楽しいんですけど。ちなみにぶっちゃけの話、万引きとかって実際あるんスか? ありますよ。ひどいヤツだと20万円以上も盗んだのがいましてね。もちろん警察に突き出しましたけど。ほんと、万引きなんて犯罪はこの世から消え失せてほしいものです。   ―同感です!ってことで、ここらで廣田さんからの質問にいかせてもらいまッス! ひとつめ「どうして『がっちゃん』と呼ばれているの?」 これはですね、大道町人祭のパンフレット作成に携わったのが発端です。そのとき、パンフレットづくりの班みたいなのがあって、私はG組に属することになったんです。で、この「G組」ともともとの家業が「ガクブチ屋」であること、加えて町人祭で「ガチャガチャ」を提供したことから、みなさんから『ガッチャン』と呼ばれるようになってしまいました(笑)。当初はそう呼ばれることに対して抵抗はありましたが、今はもういいです。   ―ちょ、それって諦めの表情じゃないッすよね?・・・・続きましてふたつめ「大須のアイドル『OS★U』のマネージャーにスカウトされたってホント!?」 ん??? 何ですか、それ?まったくもって初耳です(笑)。   ―あれ?そうなんスか?じゃ、これって廣瀬さんによるスネークインということで!じゃ、ラストの質問「今年一年の抱負は?」 NHKのほっとイブニングに出させていただいたときと同じ答えになりますが、Russyの井上としての今年の抱負は「共存共栄」です。昨年から大須商店街カンケーの方々との交遊も増えたことで、自分自身もこの街に対する考え方が変わってきました。もっともっと、良くしていきたいですね!大須を!あと個人的な抱負は「ゴルフで85を切ること」です(笑)。   ―いいスね(笑)。お店もゴルフもナイスショットでいっちゃってください!ってことで、井上さん、今回はありがとうございましたー!!! ありがとうございました。 次は『有限会社イマジン』の樋渡さんへ! 井上さんから樋渡さんへの質問 Q.…

TALK RELAY 『Massy’s Store』 廣田尚彦さん

―今回のトークリレーは大須観音通にある『Massy’s…

TALK RELAY 『大須おみやげカンパニー株式会社』 石原基次さん

―今回のトークリレーのゲストは『大須おみやげカンパニー株式会社』代表取締役の石原さん! よろしくお願いします。 ―こちらこそよろしくお願いしまッス!ってことで早速。石原さんは大須おみやげカンパニーの代表として、大須商店街連盟の常任理事として、そして大須案内人として、大須という街の活性化に取り組んでいますが、なぜそこまで「大須LOVE」なのですか? そうですね、あんまり深く考えたことはありませんが、おそらく「生まれたときからこの街だから」という理由が一番しっくりくるのかもしれませんね。 ―生まれた時から大須人なんですね! そうそう。だから40年前からになるのかな・・・・違うか(笑)。ほんとは60年前からです。ま、そのなかで数年ほど大須を離れた時期もありましたけど。 ―ちなみにそれっていつ頃の話です? 最初に大須を離れたのは、高校を卒業してからすぐ、ヒッチハイクで放浪の旅に出たときです。行き先は北の方向。ただそれだけを決めてリュック片手に大須を飛び出しました。今思うと、若気の至りというか、ノリというか(笑)。 ―ヒッチハイクで放浪の旅とは・・・いいッスね!! ちなみに北の方向って、具体的にどこに行かれたんです? 大須を出てから長野、岩手、北海道という流れで旅をしました。その間、おそらく一生忘れることのない貴重な経験をさせてもらったものです。岩手での一番の思い出は住み込みで働いた牧場でのバイト。牛の乳しぼりや牧草刈りなど、大自然を一身に浴びての仕事はもとより、その時に見たタンポポが一面に広がる草原の美しさは私の胸に強く響きました。それから、北海道の襟裳岬で民宿に住み込んで経験した昆布漁のバイトもそう。昆布が4mになるとあんなに重たいなんて驚きでしたよ。そしてなにより、そのときに出会った人たちとの関係は、今でも私の宝物です。 ー風まかせに行き着いた土地でひょいと腰をおろして、額に汗して働き、かけがえのない人間模様が描かれる・・。なんともドラマチックな展開ですね!ひょっとしてロマンス的な展開もあったりしましたか? ロマンスというか、まあ、妻とはその旅の途中で出逢いましたけど(笑)。 ―それって思いっきりロマンスじゃないスか!どこでどんな風に二人は巡り合ったのですか? いやぁ、まいったな(笑)。これって話した方がいいの? ―話してください!! じゃ、ちょっとだけ。彼女と初めて会ったのは襟裳岬でした。住み込みで働いていた民宿に彼女が友達三人で来ましてね。そこで知り合って、連絡先を交換して・・・もうこれぐらいでいいですか?(照) ―う~ん、もっと訊きたいところですが、石原さんを困らせるわけにはいきませんので・・。ご無理を言ってすみません!ありがとうございました!で、その後どうやって二人は結ばれたのですか?? まだ訊きますか!(笑)いや、もう、あれですよ、色々あって結婚しました。以上! ―おお、力ずくで割愛しましたね。さすがです。わかりました、もう訊きません(笑)。では、話を本題に戻しまして、大須に帰ってきてからはどうしたんです? しばらくは家業の手伝いをしていました。 ―家業・・・ですか。僕たちはそれが何か知っていますが、あえて訊きます、その家業ってのは何ですか? コメ兵です。戦後、父が創業し大須に出店し、65年経ちました。私は23歳から約15年間、二人の兄と一緒にコメ兵で働き、その後、独立しました。山あり谷あり色々あって・・・今また、大須で楽しく生きています。今年、コメ兵の会長になった次兄と大須の赤提灯でときどき一杯呑んでいますよ。 ―石原家の家訓どおりの「兄弟仲良く」でいいッスね!! ところで、石原さんがヒッチハイクの旅から戻ってきた当時の大須って、どんな感じだったんですか? そうですね、今からだいたい40年ぐらい前の話ですが、わかりやすく言うと、あのころの大須は現在の20分の1くらいの人通りだったかな。ほんと、いつもガラガラでした。街の活性化を図るために「大須大道町人祭」がはじまったのはちょうどその時期でした。私が25のときです。 ―大須大道町人祭といえば、石原さん自身、実行委員長として活動されたそうですね? ええ、7回目の祭りのときに実行委員長を担当しました。実行委員として参加していたのは2回目のときからです。 ―今もなお続く大須名物のこの祭りに対しては、やっぱり特別な想いとかあるんですか? もちろん!祭りは大須の元気の源ですからね!毎年、町人祭が近づくとワクワクしちゃいますよ(笑)。 ―石原さんのその笑顔、大須を愛する気持ちがビンビン伝わってきます!今は商店街の常任理事としても、大須案内人としても活躍されていますよね。 ええ、大須のことが大好きですからね。少しでも自分がこの街を元気にするために役立てれば幸いです。大須おみやげカンパニーを設立した理由も根っこの部分は同じです。せっかく良い街なんだから、もっとたくさんの人たちに好きになってもらいたいですからね。 ―そうですよね!僕らも素晴らしき街・大須のためになれるよう頑張りまッス!と、いうことで、ここらで前回の高橋さんからお預かりした質問を。ひとつめ「大須おみやげカンパニーはどうなっているんですか?」 どうもなっていませんよ(笑)。オススメしたい新たなおみやげ?今のところないですね(笑)。マイペースにぼちぼちとやっておりますので。あっそうだ。大須カレンダー2014販売中!300円!! ―その大らかな考え方、石原さんらしいッス!続きましてふたつめの質問。「大須商店街連盟の常任理事になってみて、どうですか?」 実にやりがいがありますね。そもそも、私が今年から常任理事になったのは、たとえ大須を変えたいという気持ちがあったとしても、外から言っていてもダメだなと思ったからです。自らなかに入ることで、意見を主張できるし、アイデアも提案できる。そう実感している今日この頃です。商店街連盟の有志仲間たちとはもちろん、大須に関わるすべての人たちと一緒になってこの街の未来を考えることができたら、きっと面白いことになるでしょうね。 ―そうスね!みんなで団結して大須をもっと良い街にすることができたら最高だと思いまッス!それでは高橋さんからの最後の質問。「年収はいくらですか?」 想像にお任せします(笑)。 ―まあ、ふつうここでは言わないですよね(笑)。ではでは、ついでにもうひとつ僕らからの質問を!「石原さんは大須のアイドル『OS★U』の大ファンって本当ですか?」 本当です(笑)。大須案内人と同じころに誕生した彼女たちは、いうなれば我々と同期!ともに大須を盛り上げて行ってくれる心強い仲間でもありますからね。 ―ちなみに推しメンは? 朝倉真琴ちゃん!話し方がとてもかわいいんですよ(照)。 ―なるほど、まこちゃんのトークには注目しておきます!ということで、今回のトークリレーはここまで!石原さん、ありがとうございました!!! こちらこそ。 石原さんから廣田さんへの質問 Q.…

TALK RELAY 『株式会社クーグート』高橋さん

―今月のトークリレーは『株式会社クーグート』代表取締役の高橋さんのご登場! よろしくお願いしまッス!! どーも。 ―前回の柿沼さんとはかなり永いお付き合いだそうですね?? ええ、彼とは高校生のころからのツレです。でも、私は2回目の高校2年の夏に辞めちゃいましたけどね。 ―2回目!? ってことは、ビーバップ風にいうとダブリ…ってことスね。なんでまた辞めちゃったんです? 出席日数が足りなくてね。あと、ホントのところは自分がやりたいことが何かわからんくなっていたんです。 ―寮生活で出席日数不足とは…。ひょっとして高橋さんって、実はかなり危険なお人なんですか? いや全然(笑)。見ての通り、普通の人ですよ。 ―たしかに。現在の外見はすごくいい人そうですね(笑)。ま、ともかく、高校をドロップアウトしてからどうしたんです? どうってことはないのですが、とりあえず、地元のツレも高校を辞めることになったので、一緒に自衛隊にでも入ろうっかって。 ―で、一緒に高校を辞めた者同士、一緒に自衛隊に入ったんですか? いやそれがね、私はまだそのとき17歳で、年齢的に入れなかったんです。だから、まず先に18歳になっていたツレが自衛隊に入りまして…。 ―そのあとを追いかけるようにして高橋さんも入隊した、と? いや、私は入りませんでした。 ―え?? どうゆうことスか?? 高橋さんが誘ったんスよね?? そうですよ。もちろんそのつもりでした。でも、私が18歳になるまでの間に、他の中退組メンバーと大検を取ることに決めちゃったので。 ―中退組って(笑)。でも、先に入隊していたお友達は怒りませんでした?「一緒に自衛隊に行くって言ったじゃん!」って。 いや、彼は彼で(駐屯地のある)習志野での毎日が充実していたみたいだったので。 ―そうすか。ならいいスけど。で、大検の方は? 無事に受かりましたよ。でも、結局大学には行きませんでしたけどね(笑)。 ―またもや行かないシリーズ!? せっかく大検を取ったのに、どうしてまた?? いや実は、大検を受けるまでの間、いろんなバイトをしてたんですが、その内のひとつにグラフィックデザイン会社があって、そこで没頭してました。主に地元の印刷会社の仕事を受けていた会社なんですけど、そこで未経験ながらもデザイナーの仕事を経験させてもらいました。で、当然そのときはペーペーだから簡単な仕事しか任せてもらえなくて、気付けばいつの間にか「もっとやりたい!」って思っている自分がいたんです。 ―それが今現在、デザイン会社を営んでいる高橋さんの原点だったわけですね! そうですね。現在までの流れをざっくりいうと、その会社で正社員として3年くらい勤めたのち、今池にある同じ業界のとある会社に転職。そこでの経験も大きかったですね。事業展開が違っていたこともあり、それまでの制作としての作業だけではなく、クライアントとの打ち合わせやオーディションの仕切りとか、いわゆるディレクター的な動きも必要とされたんですよ。あれもこれもといった感じで私のやりたいことが広がりました。 ―そして独立、ということスよね? ええ。26歳のときでした。最初のうちは会社としてではなく、『COUP(クー)』という屋号で、広告代理店の仕事をメインにこなしていました。事務所はそのころからこのビルです。 ―となると、かれこれ20年間、ずっとここなんですね。大須に対して特別な想いとかお持ちなんスか? う~ん。正直なところ、発足当時は自分が平針に住んでいたから鶴舞線一本で来れるし、この街にはコムロードがあったし…。それくらいでしたね、大須に事務所を構えた理由といえば。 ―実に明快ですね。便利だったから、ですね! ところで『株式会社クーグート』が誕生したのはどのタイミングなんスか? たしか、1995年だったかなぁ。「思わぬ大成功」とか「起死回生の一発」という意味の「coup(クー)」と「良い」とか「健康」とかいう意味の「gut(グート)」をくっつけた社名にしました。 ―今現在クーグートさんといえば、基本である各種デザイン業のほかにも『サカエ経済新聞』や『大ナゴヤ大学』とかの運営にもガップリ四つですよね! あと、高橋さんご自身は大須案内人としても活動されていますし。 サカエ経済新聞にも大ナゴヤ大学にも、そして大須案内人にもいえることですが、縁があってこその結果なんですよね。ただ、もちろん知り合いを通じてや偶然によってつながりが生まれることですが、それに値するものを積み上げてきたからこそ、次の繋がりが待っている、と。 ―なるほど、深いですね。高橋さんにとって仕事へのこだわりって何ですか? こだわりというか、大切にしているのは「可視化されていないものを可視化すること」ですね。たとえば地図をデザインする場合、のどが渇いている人にとって有益な情報は水分を補給できる場所がわかることですよね? でも、単に給水ポイントのアイコンをうつだけじゃなくて、その人がどんな飲み物をほしがっているかまで配慮して、ここではジュース、ここではビール、という具合にどこで何を飲めるかまでわかるようにすることが大切だと私は思うんです。だから、どんな媒体にせよユーザーが必要とする情報を可視化することこそが、本当の意味でのデザインっていえるんじゃないですかね。 ―そうすね、勉強になります! あざっす!! ということで、ここらで柿沼さんからのクエスチョンを。ひとつめ「彼女はできましたか?(つくらない宣言してたけど)」 できたらいいですね(笑)。つくらない宣言? そんなのしてないですよ! ―そうなんスか!?(笑)では続いてふたつめ。「最近は床で寝ていませんか?」 床? ああ、事務所の床ってことね。はい、寝てますよ。2日に1回は寝てます。段ボールとかヨガマットを上手に使って、快適に寝てますよ。家には週末ぐらいしか帰ってません。 ―過酷ですね! でも、尊敬します! では最後の質問。「黄色いベストはいつまで着るのですか?」 なくすまで着ます。 ―黄色いベストって何のことですか? 10年以上前の話ですが、コメ兵で黄色いベストを見つけて買ったんですよ。別にもともとイエローが大好きだったわけじゃないんですが、いいなと思いまして。以来、毎年季節になると黄色のベストばかり着ているので、すっかり私のトレードマークみたいになっているようですね。ちなみに今のベストは2代目で、初代のベストをなくして憔悴していた私に、当社スタッフがプレゼントしてくれたものです。 ―そのベスト姿、見たかったッス! ということで、今回のトークリレーはここまで! 高橋さん、ありがとうございました!!! 高橋さんから石原さんへの質問 Q.…

TALK RELAY 『十二ヵ月』の柿沼さん

―今回は大須通にあるカフェ『十二ヵ月』の柿沼さんのご登場!! よろしくお願いしまッス!! よろしくお願いします。 ―では早速。そもそもの話ですが、どういった経緯でこちらのカフェを出すことになったのですか? もともと私はインテリア関連のデザインの仕事をしていましてね。20代の後半で独立をする際、主に飲食店の設計デザインがメインの仕事だったこともあり、お客様を呼んで具体的にハコの中に置くものを提案できるアンテナショップがほしいなと考えまして。だから、カフェがやりたくて…というわけではないんですよ。 ―きっかけはデザインの仕事の延長線上にあった、ということですね。ところで、お店を構える場所に大須という街を選んだのはどうしてですか? それこそ本当に偶然な話なのですが、なんとなくここを通りかかったとき、単純に「いいな」と感じたからです。正直、当時の大須は今とは景色が全然違っていて、特に人の多いところでもなく、あまり気にもとめていませんでした。でも、この場所にはなんとなく惹かれたんですよね。 ―ありますよね~「なんとなく」って。オープンから18年の月日が流れましたが、当時と今の『十二ヵ月』の店構え(内観・外観)はどのように変わりました? ほとんど変わりせん。今のまんまです。私自身の設計デザインのコンセプトにも言えるのですが、古き良きモノとシンプルなデザインがすきなんですよ。だから、今でこそ珍しくはありませんが、開店当時からカフェながらも「和」の要素は外したくなかったし、日本ならではの四季を打ちだしたいというテーマもありましたので。間違いなく、これはずっと変わらないと思う。 ―なるほど。和の空間と季節を感じられるギャラリーカフェだから『十二ヵ月』。ネーミングにも納得です! 今現在は奥様もお店に出られていますが、オープン当初はどうだったんです? いや、最初からずっと妻と二人でこの店をやっていますよ。店というよりも、仕事そのものを二人でやっています。カフェの仕事も、デザインの仕事も。 ―奥様もデザインの仕事をされていたんですね! ええ、同じ職場仲間でした。いわゆる社内恋愛です(笑)。実のところ、私たちが結婚したのは『十二ヵ月』をつくったタイミングとほぼ同じなんですよ。今だから言える話ですが、向こうの両親に結婚の話をしに行ったのはまだ私が会社員のときで、独立しようと考えているってことは敢えて言いませんでした(笑)。 ―たしかに、言いにくいッスよね!「独立? ほいでは君、結婚してから先はウンヌンカンヌン…」って展開が目に見えていますからね(笑)。 そうですね(笑)。 ―お店の方は昼が奥様で夜が柿沼さん、って具合に担当する時間を決めて動いているのですか? ケースバイケースです。ただ、毎週土曜日のバータイムだけは私が入っています。基本、私のバイク仲間たちしか来ませんので。 ―そうそう、柿沼さんってかなりバイクがお好きなんですよね? ええ、大好きですよ。興味を持ちはじめたのは中学生のとき。いつか限定解除の免許を取ることが当時の夢だったなぁ…。あの頃からバイク熱はずっと続いています。若いころは峠で走るのも好きでしたが、今ではサンデーレーサーとして休日にサーキットで走るのが楽しみで。 ―サーキットとは本格的ッスね!!! ちなみに愛車は何ですか? カタナです。現在乗っているのは2代目なんですが、約20年間このバイクひと筋です。初代のは買ってすぐに盗まれちゃいましたけどね(笑)。一宮の本町商店街で。盗まれたときの「・・・ん???」って一瞬自分の頭がフリーズするようなあの感覚は今でもよく覚えています(笑)。 ―わかります。僕もケッタを盗まれたときそうなりました(笑)。それにしてもカタナひと筋とはシブイですね! ほかのバイクに乗ろうという気にはならなかったんですか? ほとんどないですね。バイクに関してだけじゃなくて、設計デザインの仕事、カフェやギャラリーに関しても言えることなのですが、私は時間が経っても色褪せない「本物の素材とデザイン」が大好きなんです。こういう思考は、自分が生きていく上でのポリシーであり、最も大切にしていることでもあります。 ―それ、素晴らしいッスね! 男として思わず憧れちゃいます。ではここらで、伊藤さんからの3つの質問を! ちょっと先ほどの内容と重複しますが、ひとつ目の質問。「なぜ、それほどバイクを愛せるのですか?」 危険だからです。危険なものをきちんと扱うことの面白さがあるからです。バイクには、60キロの速さでも怖いときもあれば、150キロ出しても怖くてないときもある。それをコントロールする喜びに私は大きな魅力を感じるんですよ。あと、大人になってから良い友達(バイク仲間)ができるところもバイクを愛す理由のひとつ。僕からバイクを取ったら? 死んじゃうかもしれませんね(笑)。 ―いいっスね! マグロは止まったら死ぬ、みたいで(笑)。続いてふたつ目の質問いきます。「髪は切らないのですか?」 切らないです。『十二ヵ月』をオープンしたときから切ってません。こだわりというか、もう、楽ですからね(笑)。万が一ほかの髪型にするとしたら、金髪ショートかな…。でも現実的にはしないでしょうけど。 ―柿沼さんの金髪ショート、見てみたい気もします(笑)。では三つ目の質問いきます。「Tシャツに対するこだわりは?」 Tシャツ? ああ、今私が着ているこのTシャツのことね。実はコレ、うちのオリジナルなんですが、ずっと『十二ヵ月』とバイクをからめたデザインにしようと考えていたものの、なかなかまとまらなくてね。このまえやっと完成しました。 ―Tシャツに対しても納得するまでこだわりつづけるってのは柿沼さんらしいですね! ということで今回のTalk…

TALK RELAY 『CAFÉ CEREZA』伊藤さん

―今回のTalk Relayは『CAFÉ CEREZA(セレーサ)』の伊藤さん!! よろしくお願いします!! こちらこそ。 ―はじめて『CAFÉ…

『北岡技芳堂』 代表 北岡 淳

―今回のTalk Relayは、前回の酒井さんからご紹介いただきました『北岡技芳堂』の代表・北岡さん!!! よろしくお願いします。 ―お願いします! では早速、そもそもな話から。北岡さんは現在、絵画や骨董品などの美術品を扱う『北岡技芳堂』の代表を務めていますが、この業界にはどのような経緯で進まれたのですか? もともと実家がこの家業をしていましてね。私で三代目になります。幼いころから私は、祖父から父へと受け継がれてきたこの古美術商という仕事を間近で見てきました。そして気付けば、いつしか憧れを抱くようになっていましてね。それで15歳のとき、自分が三代目を継ぐことを決意し、この世界に飛び込みました。 ―15歳!? となると、もうかれこれ25年のキャリアになりますね。いかがですか、実際に歩んできた美術商という道は? いやぁ、月並みな表現かもしれませんが、実に奥が深いですね。終わりがないというか。美術品というものは、生き物みたいなもので、時代によってその価値はうごめき、変化を繰り返します。つまり、価値というものを考え、価値を生み出すことが私たちの仕事なのです。答えがあるようでない。その逆もしかり。だからこそ、この仕事は面白いんです。また、いわゆる「お宝」と呼ばれる品々を鑑定するときのワクワク感も、この美術商ならではの醍醐味ですね。 ―面白そうですね! 鑑定と聞くとぼくら一般人はあの有名な番組を連想しがちですが、実際にあの番組のように意外な人から意外な代物が出てくるってこともあるんですか? そうですね、当店には様々なお客様がいらっしゃいますからね。資産家やお医者さんはもちろん、解体屋さんや大学生、時には路上で暮らしている方からの査定も受けることもありますので。 ―路上の方からですか! それ漫画みたいな話ですね(笑)。で、持ち込まれるのが高額のお宝だったら、なおびっくりな展開ですが…。 ま、実際にはそういう極端なパターンはほとんどありませんが(笑)。しかし、一般のご家庭に出張買い取りに伺った際、査定を依頼された物とは別に、百万円以上の品が眠っていたというケースはよくある話です。 ―百万円以上のお宝に気付いていなかったとは…。ひょっとしたらこの記事を読んでいる方たち全員が、自分の家を洗いざらいエグッてみたら、何かしら出てくるかもしれませんね! 可能性はあるでしょうね。 ―いやらしい話ですが、今までで買い取りした最高金額はいくらですか? 3000万です。 ―サンゼンマン! それって家じゃないですよね!? もちろん(笑)。一度に数点の絵画を買い取ったとき、この金額になりました。ただ、これくらい高額になると、こちらもプロとはいえかなり緊張しますよ。 ―でしょうね。もしもニセモノを掴まされたら…おそろしいですね。でも、これまで「この査定、ミスったかなぁ」って経験ありませんか? ゼロではないですね(笑)。基本的に当店は価値のある物であれば何でも買い取るのですが、このまえ買い取った映画のポスターはちょっと失敗だったかな(※往年の邦画ポスター200枚を35万円)。言い訳になりますが、その日、熱が39度あったんですよ。正常な体調であれば、果たしてその値をつけたかどうか…。ま、その正否はいずれわかるでしょう。 ―業界ならではの、悩ましくもあり楽しみでもあるポイントですね。ところで、もともと北岡技芳堂さんは三重県四日市が地元なわけですが、新たな店を出す街に大須を選んだのはどういった理由からですか? 一番の理由は、私たちの事業を展開する場所として、基礎体力のある街だからです。大須は、コメ兵さんやジュピターさんといった、買取と販売を生業とする大手さんが成功している街であり、一般の方々には「物を売れる場所である」といったイメージも根付いています。ブランド品と美術品、扱う品のジャンルこそ違いますが、物とお金を動かすパワーが十分にあるこの街なら大丈夫だろうと考えました。 ―実際に店を出して約7年が経ちますが、大須はいかがでした? いい街だと思います。商売的にも日常的にも。下町な空気が流れていて、気さくで親切な人が多いと思います。昔ながらの街でありながらも、新しい色をフランクに受け入れる土地柄は大須の魅力のひとつだと思います。また、この街で店を構える経営者の方々の出身地は実に多彩なんですよ。なので、私自身もすんなりと馴染むことができました。 ―さすが大須、懐が深い!って感じですね。ではここらで、酒井さんからの質問を。ひとつめ「家でゴハンを食べるのは週に何回?」 決まってはいませんが、必ず一回は家で食べるようにはしています。以前は付き合いもあって、今以上に外食ばかりでしたね。ひと月まるっと家で食べない、なんて場合もザラにありましたから。でも40になってからは、お酒も辞めたし、健康的な生活を送れていると思います。 ―お酒はどうして辞めたんですか? ひょっとして、ドクターストップとか? いや、自分ストップです(笑)。私も嫌いじゃなかったから、三十代のころまでは毎晩のように飲みまくっていましたよ。でも、40になるころにはもうダメ。きちんと飲んでしまうと、次の日はもう仕事にならなくて…。これまでさんざんお酒は経験したから、そろそろいいかなって。それに今は、毎日快適に仕事をして、できるだけ多くの書物を読んで知識を身に付けることの方が面白いので。 ―ぼくも見習います…。続きまして、ふたつめの質問「今後の野望を教えて!」 この商売を伸ばしていくこと。それが私の野望です。今現在、四日市と大須と京都にうちの店はあるのですが、もっとその数を増やしていきたいですね。経営者以外の目線からは、歴史に残る物と出会うことが野望です。古美術に携わる者として、やっぱり本当に良い物には興味がありますからね。 ―ちなみに北岡さんが個人的に最も好きな作品はどういう物ですか? 魯山人ですね。彼ほど物の良さを自然に表現している人は、そうそういないと思います。 ―なるほど、深そうですね! では最後の質問「最近買った一番高いものは何?(仕事以外で)」 昨年のクリスマス、妻にプレゼントしたエルメスのバーキンです。60万円くらいだったかな。純粋なるプレゼントというよりも、妻のマグマを静めるのが目的だったけど(笑)。 ―そのマグマの原因、気になります!! それについてはノーコメントでお願いします(笑)。 ―残念!! ということで、今回のTalk…